赤坂英一の野球丸

2017年1月11日

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赤坂英一 (あかさか・えいいち)

スポーツライター

1963年、広島県生まれ。86年に法政大学文学部卒業後、日刊現代に入社。88年より、スポーツ編集部でプロ野球取材を担当。同社勤務のかたわら週刊誌、月刊誌で、スポーツを中心に人物ノンフィクションを多数執筆してきた。最新刊『すごい!広島カープ 蘇る赤ヘル』(PHP文庫、『広島カープ論』増補改訂版)が重版出来で2万部突破。ノンフィクション『失われた甲子園記憶をなくしたエースと1989年の球児たち』(講談社)が第15回新潮ドキュメント賞にノミネートされた。ほかに『プロ野球「第二の人生」 輝きは一瞬、栄光の時間は瞬く間に過ぎ去っていった』(講談社)『最後のクジラ――大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生』(講談社)『プロ野球コンバート論』(PHP研究所)など。

 一昨年、昨年のいまごろと同様に、今年もまたまた青学大陸上部・原晋監督が大変な時の人となっている。いや、いまの騒がれようはこれまで以上かもしれない。史上6校目の箱根駅伝3連覇、史上4校目となる出雲、全日本に続く大学駅伝3冠を達成。この両方を達成したのは、史上初の快挙なのだから。

(iStock)
 

 3連覇から一夜明けた1月4日朝には早速日本テレビ〈スッキリ!!〉に7区の田村和希(脱水症状で休養)を除く9選手、小関一輝主将とスタジオ生出演。その夜はテレビ朝日〈報道ステーション〉、翌5日昼にもTBS〈ひるおび!〉に単独で出演し、寮母の美穂夫人もインタビュー映像で登場。教え子や妻とともに朝昼晩と全国放送の情報番組を席捲していたその姿はいまや、陸上界にとどまらない時代の寵児と言っても差し支えない。

次から次へと繰り出す〝原語録〟

  次から次へと繰り出す〝原語録〟の数々も冴え渡った。大会前は目標とする箱根3連覇と駅伝3冠をかけた「サンキュー大作戦」でいくと宣言。負けたら「ソーリー、ソーリー大作戦」と修正するとオチをつけた。レース中は3区の秋山雄飛に「湘南の神になれ!」と呼びかけ、自分を支え続けてくれた夫人を「家内は監督(自分)の監督」と持ち上げている。しかし、私が最も印象に残った原監督の言葉は、優勝を決めた直後のゴール地点、大手町・読売新聞東京本社前のテレビインタビューで、一番最初に発したこのセリフだ。

 「まず、箱根に出場した選手たちをここまで育て、私たち青山学院と原を信頼し、私たちにあずけてくださった高校の指導者の方たちに、感謝の言葉をお伝えしたいと思います」
 
 原監督が昨年も一昨年も同じことを言っていたか、それ以前に優勝した監督たちもそう言っていたのか、不勉強にして記憶にない。ただ、ほかの競技も含めて、勝利監督インタビューでは滅多に聞けない言葉であることは確か。実際、昨年、いくら日本ハム・大谷、広島・鈴木が活躍しても、公の場で栗山監督が花巻東高に、緒方監督が二松学舎大附高に感謝の言葉を述べたりはしなかった。

 それだけに、青学に選手を送り出した世羅高、佐久長聖高をはじめ、高校の指導者たちには、原監督の言葉に感じるところがあっただろう。来年は今年の箱根を走った4年、10人中4人の中心メンバーがいなくなるから、原監督にもより一層スカウト活動に力を入れなければならないという計算があったはず。私はここに、陸上界全体の底上げを見据えた原監督の視野の広さを見る。もっとはっきり言わせてもらえば、原晋という監督像を陸上界にも一般のファンにもしっかり印象づける〝やり手営業マン的したたかさ〟を感じる。

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