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2010年5月31日

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 「私は、生きている限りは示現流第12代宗家です。ですから死ぬまで稽古して、自分を高めるしかありません。それをやるのも自分、やらないのも自分。大怪我を克服できたのも、そう考えるのが私にとって当たり前だったからだと思います」

 鹿児島の地で400余年の歴史をもつ剣術・示現流。「一の太刀を疑わず、二の太刀は負け」を理念に据えるように、機先を制する一撃によって相手を倒すという必殺の剣術である。死体の瘡痕を見れば示現流の使い手に切られたことがわかると言われるほど、独特かつ勇猛果敢と恐れられ、維新を担った顔ぶれにも示現流を学んだ者を数多く見いだすことができる。

 薩摩藩主は示現流が他藩に漏れぬよう、そして流派が絶えぬよう、気を配り続けた。こうした背景があったためか、示現流は一子相伝により継承されてきた。師範は宗家ただ一人であり、門弟は免許皆伝となっても道場を開くことは許されず、藩主から宗家が拝領した地に開かれた唯一の道場で鍛錬するほかはない。それだけに宗家は絶対的で、命ある限り替わることは許されない立場だ。

続けているうちに
感覚が爆発的に体に入ってくる

東郷重徳(とうごう・しげのり)
1959年、一子相伝の剣術流派・示現流を継承する東郷家に生まれる。95年に宗家となり、翌年交通事故に遭うが、怪我を克服。鹿児島市の道場に隣接する示現流史料館では、流祖の直伝書などを見ることができる。 http://www.jigen-ryu.com 
写真:田渕睦深

 流祖・東郷から下ること12代の東郷重徳は、先代である父の死によって36歳の時に宗家を継承。しかし、間もなく交通事故で大怪我を負った。剣術家としては致命的と思えるほどのハンディキャップを背負いながらも、それを克服できたのは、そこで諦めるのも前を向くのも、結局は自分次第だと考え行動することが、東郷の体に染み込んでいたからだ。

 「示現流の宗家は、すべての門人よりも技術や精神面で抜きんでていなければいけない存在です。私は5歳から修行を始めました。いずれ宗家に、と意識したことはなくて、なってみないとわからないことをあれこれ考えるより、体を動かして稽古したほうが合理的だと思っていましたし、そのほうが性に合っていました」

 「子どもの頃は、やっぱり友達と遊びたいと思うこともありましたが、そんな私に父はよく、『わがこっじゃらいよ(俺のことじゃないよ、お前のことだよ)』と言いました。やるもやらぬも、お前次第だということです。庭で稽古する時は、冬は霜柱の上に素足ですから感覚がなくなるほどつらかったですが、続けているうちに、やっていることがすごく好きになって、『この動きだ』という感覚が爆発的に体に入ってくるような時が、必ず訪れます。そうすると、自ら貪欲に得ようとする精神になってきます」

 示現流の稽古は、立木(たてぎ)打ちのほかに型が基本となる。立木は長さ3メートルほどの、椎など堅い木の3分の1を土中に埋めておく。地上に出ている部分を、蜻蛉(とんぼ)という独特の構えから摺り足で走り寄り、ユスの木刀で打ち込む。道場にある椎の木の、人間であれば肩の高さのあたりがげっそりと削れていることからも、打ち込みの凄まじさが伝わってくる。

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