WEDGE REPORT

2017年8月15日

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 今日で72回目の終戦記念日となる。72年も前のことをどうして引きずる必要があるのか。戦争体験者にとってはもちろん忘れられない記憶だが、昭和が終わり、平成も29年目が過ぎようとしている。

 理不尽さを感じないわけではないが、「歴史」は相続せざるを得ない。「もう終わりにしましょう」と、韓国や中国に言ってもなかなかそうとはならない。「ゴールポストを動かす」などと批判される韓国のように、基本合意したことを見直すなどと言われるとうんざりする。それでも、「もうお宅とは付き合いませんから……」と放置できない。

1945年9月2日、降伏文書に署名すべく、東京湾上の戦艦ミズーリに赴いた重光葵外相、梅津美治郎参謀総長(AP/Aflo)

 では「歴史」はどうやって相続するのか。「これ」という方法はないのかもしれないが、まずは歴史を知るしかない。そこで、72年前の8月15日を体験した人の声を聞いてみる。

 のちに作家となる大岡昇平は、昭和19年(1944年)、つまり敗戦の1年前に招集され、フィリピンのミンドロ島に出兵している。当時35歳。幼い子どもが2人いた。『俘虜記』には、その顛末が描かれている。普通のサラリーマンが突然戦争と向き合わざるをえなくなる現実からは「日常」というもののありがたさを実感させられる。大岡は、フィリピン・レイテ島の捕虜収容所で敗戦を知った。

 「では祖国は負けてしまったのだ。偉大であった明治の先人達の仕事を三代目が台無しにしてしまったのである。歴史に暗い私は文化の繁栄は国家のそれに随伴すると思っている。あの狂人どもがいない日本ではすべてが合理的に、望めば民主的に行われるだろうが、我々は何事につけ、小さく小さくなるだろう。偉大、豪華、崇高等の形容詞は我々とは縁がなくなるだろう」(『俘虜記』)

 明治の人たちが作った日本は1868年にはじまり、77年後の1945年に滅びた。やはり、そのように悲嘆した人が立場は違えども多い。

 16歳で海軍に志願した少年兵・渡辺清は、戦艦武蔵撃沈から九死に一生を得て、横須賀で敗戦を知らされた。

「武蔵、大和が健在でいるかぎり日本は安泰だ。両艦が沈められたらその時は日本もおしまいだ。おれは武蔵のデッキでよくそんな話を聞かされた。それから二年足らずのうちにこの虎の子の二隻が消え、連合艦隊が事実上壊滅状態になってからも、それが直ちに日本の敗北につながるとは思っていなかった。たしかに味方の敗色は覆うべくもなかったが、そのうちに決定的な勝機をつかんで、戦局をいっきょに挽回できるのではないか。有史以来一度も外敵にあなどられたことのない日本だ。最後には必ずや勝つだろうとひそかに信じていた」(『砕かれた神』)

 有史以来日本は外敵に負けていない。日清、日露、第一次世界大戦でも勝者の側にいた。

 医学生だった山田風太郎は、長野県の疎開先で8月15日正午に政府から重大発表があると聞き、一瞬「降伏」がよぎったものの、9日突如日本へ攻撃を開始したソ連への「宣戦布告」の発表だと信じた。

「臥薪嘗胆! この言葉は三国干渉以来十年の日本人の合言葉であった。しかし今度の破局はそれと比倫を絶する。再興するにはほとんど百年を要するであろう。しかもその間、臥すべき薪も嘗むべき胆もない惨苦の中に生きることを覚悟せねばならぬ」(『戦中派不戦日記』)

 いずれも「敗戦」を悲嘆している。無理かもしれないとは思いつつも、やはり「勝利」を目指していた。だから戦後になって「俺は負けると分かっていた」なんていう「したり顔」の態度は取らない。

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