個人美術館ものがたり

2010年9月10日

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赤瀬川原平 (あかせがわ・げんぺい)

画家、作家

1937年、神奈川県生まれ。60年代にネオ・ダダイズムなど前衛芸術運動に参加。80年「尾辻克彦」名の『父が消えた』で芥川賞を受賞。『散歩の学校』『昭和の玉手箱』『千利休 無言の前衛』など著書多数。

思いのほか奥深い、女鹿平〔めがひら〕山麓のみどり濃い森の中──。
かつて大作を落札して世間の耳目を集めた美術館には、
溜息が出るほど膨大な数のコレクションが展示されていました。

 ウッドワン美術館というこの名前からは、どんな美術館か想像がつかなかった。広島の駅からはずいぶん電車でも遠そうだし、バスに長く乗って行った山奥みたいだ。作家でウッドワンという名前はまず聞かないから、これは作品蒐集のコレクターの名前か。外国人だとすると、こんな日本の山里に、よほど何かゆかりのあった人なのかもしれない。

 と思ったが、資料を見ていくと、このウッドワンは企業の名前だった。建材業が元にあるようで、ウッドの意味がわかった。材木だ。その元は林業で、その元は山ということで、この会社はいまやニュージーランドにも山林を所有し、日本の山を超えて広がっている。

右が本館、左が新館

 館長の中本祐昌〔ゆうしょう〕氏にお話をうかがった。現在のウッドワン社長でもある。ウッドワンは父の中本利夫氏が興した。この地が始りである。祖父がそもそも山の仕事で、祖父の山を見る目はピカ一だったそうだ。山の将来を値踏みする。そのやりとりで林業の基礎は出来ていたらしい。それをいわゆる山師のカンだけでなく、近代経営の企業として興したのが父の利夫氏ということだ。

中本利夫(1929~2008年)

 事業に成功し、地元への恩返しにと、温泉施設と美術館とスキー場建設にも乗り出した。本州のいちばん西にある本格的スキー場ということで、早くから人工造雪機を入れたのが成功の一因にもなったらしい。

 利夫氏は若いころから絵が好きだったが、戦争でそれどころではなくなった。戦後だいぶたって、バブル時代に多少の絵を買った。むしろバブル崩壊後からだんだん集るようになったようだ。

 ここ廿日市市〔はつかいちし〕の前市長が昔からの学友で、新しい市庁舎を飾るのに絵を貸してくれといわれた。それがきっかけで美術館向けのコレクションを始めた。

展示されていた
「毛糸肩掛せる麗子肖像」

 最初に買った作品がどんな物か知りたかったが、どれも売却して残ってないらしい。だんだん目が肥えてくると、最初のはみんな笑えるような物だったという。でも最初は銅像だったと、記憶を語った。北村西望の型屋が濫造したような、町の骨董屋に置いてあるタイプの物らしい。

 最近の購入はオークションが多く、一番の目玉は岸田劉生の麗子像(「毛糸肩掛せる麗子肖像」1920年)。オークションでのスリルを話してもらった。会社の役員会で決めた予算の上限と、じりじり上るオークション価格との関係で冷汗をかき、もう一回値を上げられたらお手上げというとき、幸運にもせり合った相手が下りてくれた。

 もう一つの目玉はゴッホ初期の肖像画「農婦」。画家の中川一政から出たもので、真贋がわからず1万円の予定だったが、オークション前日にオランダのゴッホ美術館から本物という鑑定が下りて、値段がどんと高騰し、大変な話題になった。

 麗子像は平成12(2000)年、ゴッホ「農婦」は平成15年の購入だったが、この「目玉」入手の年には来館者が3倍から5倍に増えた。やはり「目玉」の力というものを痛感したらしい

*麗子像、「農婦」は常設展示ではありません。展示予定は美術館にお問い合わせください。
 

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