足立倫行のプレミアムエッセイ

2017年10月1日

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足立倫行 (あだち・のりゆき)

ノンフィクションライター

早大政経学部中退後、週刊誌記者などを経てノンフィクション作家に。近著に『血脈の日本古代史』(ベスト新書)『倭人伝、古事記の正体』(朝日新書)。

 昨年度のギャラクシー賞(CM部門)で大賞を受賞した携帯電話のauのテレビCM〈三太郎シリーズ〉が現在も快進撃中だ。

 エンタメ・カルチャーと呼ぶらしいが、桃太郎と浦島太郎と金太郎という昔話のヒーロー3人が幼馴染みで、女性陣の乙姫・かぐや姫・織姫が実は3姉妹だった、という設定自体が、視聴者に安心感と懐かしさを与え、「ええっ、今回はどうなるの?」という新鮮な驚きや面白みにつながっているのだろう。

 私はノンフィクションをやっているので、CMの話題でもどうしても実証的に考えがちだ。不明な点を、やけにシツコク追及してしまう。因果な性分だと思うが、仕方ない。

(stas11/iStock)

 三太郎のうちまず気になるのが浦島太郎。最古の伝説の一つでありながら、日本最初の歴史書に記述があることが引っかかる。

 『日本書記』雄略天皇22年(478年)条によれば、丹波国余社(よさ)郡菅川(つつかわ・京都府与謝郡伊根町筒川)の「瑞江浦嶋子(みずえのうらしまこ)」が海で大亀を捕らえ、亀は女に変わり浦嶋子と結婚、共に海に入り蓬莱山(とこよのくに・仙境)に至ったという。

 『日本書紀』と前後して編纂された『丹後国風土記』(逸文)はもっと詳しい。美男の「嶼子(しまこ)」が釣り上げた五色の亀が美女に変身し、女の方から言い寄り、2人は海の彼方の蓬山(とこよ)の国へ行った。立派な楼閣で「嶼子」は両親に会い、歓待され、女(亀比売)と夫婦になった。だが3年後、「嶼子」は故郷を思い出し、亀比売から開けてはならない玉匣(たまくしげ・玉手箱)をもらって舟で帰る。だが水江の浦は一変しており、時は300年も経っていた。途方に暮れて玉匣を開けると、たちまち顔が皺だらけになってしまった云々。

 全国各地に浦島太郎の話は20以上あるが、史料の年代が一番古く、関連の伝承地も数多い丹後半島の「浦嶋子」の物語が、その原型と言える。ただし、私たちが知る(助けられた)海亀の報恩や、龍宮城の登場は室町時代の『御伽草子』(おとぎぞうし)以降のことである。

 私は、古代史の取材をしていた時、浦島伝承と関わる京丹後市網野町の網野銚子山古墳(墳丘長198m)を訪れたことがあった。

 墳頂に立つと福田川の河口近くに「水江浦嶋子」を祀る嶋子神社があり、その左遠方の嶋子と乙姫の出会いの場所といわれる福島には乙姫を祀る福島神社、そして古墳のそばに、突然老人になった嶋子が皺を投げつけたという「しわ榎」がある。

 『丹後国風土記』では、嶼子を「日下部首(くさかべおびと)等の先祖」と記す。網野町の網野神社(元浦嶼大明神) には日下部氏の系図があり、古墳と屋敷が地続きだった日下部家には子供がなく、福島でひろったのが、嶼子と伝える。

 その網野神社の祭神は、日下部氏の祖の日子坐王(ひこいますおう)(彦坐王)である。記紀の「四道(しどう)将軍」派遣記事において、丹波国に派遣されたのが日子坐王だ(紀では丹波道主命(たんばみちぬしのみこと))。

 古代氏族研究家の宝賀寿男氏によれば、丹波国平定の後に丹波国造となる一族の、初代「丹波道主」が彦坐王、息子が2代目「丹波道主」とのこと(『越と出雲の夜明け』)。

 4世紀前半の崇神(すじん)朝に丹波に派遣された一族の3代目(実質的な最初の居住者、淡谷別命(あわやわけ))の墓が、日本海側最大の前方後円墳である網野銚子山古墳というわけだ。

 なお、宝賀氏の同書によると、丹波道主の祖先は中国、江南から稲作を伝えた海神族で、稲魂として女性神(奇稲田(くしいなだ)姫=豊受(とようけ)大神)を信奉していた。女性神は、酒・織物・水(龍)の神であり、天から天降った月神という性格もあるため、一族には浦島伝承や羽衣伝承など他界、常世にまつわる話が多い。

 そう言えば、私は、網野町に隣接する弥栄町の奈具(なぐ)神社も訪れたが、そこは、天に帰れなくなった天女が酒造りを教えた老夫婦に富をもたらしたものの追い出され、彷徨した末にたどり着いて、「ここに来て心が凪(な)いだ」と安住した羽衣伝説の場所だった。

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