東大教授 浜野保樹のメディア対談録

2010年10月13日

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浜野保樹 (はまの・やすき)

東京大学大学院新領域創成科学研究科教授

1951年生まれ。工学博士。コンテンツ産業や制作に関する研究開発に従事する。主な著書に『大系 黒澤明』(講談社)『偽りの民主主義』(角川書店)『表現のビジネス』(東京大学出版会)などがある。(財)黒澤明文化振興財団理事、文化庁メディア芸術祭運営委員ほか。

「日本の洋食」があるなら「日本の洋楽」だって

浜野保樹教授(以下「浜野」) 洋楽マンとしての石坂さんのお話を聞いていると、当時の情景が次々浮かび上がってくるみたいですが、お仕事は、実際のところどんなだったんですか。

 東芝音楽工業(現・EMIミュージック・ジャパン)に、大学を出て務められて、アシスタント・ディレクターになる。この仕事はどんな?

石坂敬一会長(以下「石坂」) ビートルズやらせてください、って頼んで、ビートルズを担当するアシスタント・ディレクターから始めました。

 向こうからくるマスター・テープを責任もって保管して、エンジニアにそこから盤をこしらえさせるのと同時に、コピーをつくって、それを聴きながら題名考えたりする仕事ですよね。

石坂敬一会長

 だから、工程管理と、マーケティングの両方です。マーケティングというのは、どうやったら売れるか考えるわけですね。

浜野 その場合、題名をつける自由などは日本側に? ビートルズの場合もですか?

石坂 そうです。

浜野 映画だと、スタンリー・キューブリックのような完璧主義者は、題名であれ、字幕であれ、一度日本語になったものをもう一度英語の最も近似的な表現に直させて、それをチェックしてましたが。

石坂 ビートルズも最後の3~4年は、題名は各国共通にするから邦題つけるな、ってなりましたよ。歌詞の対訳つけちゃいけない、とも。

 ただ、ピンク・フロイドの「Atom Heart Mother(1970)」を「原子心母」と置き換えたころは、そういう規制は何もない。わたしは、日本人が理解して、魅力を感じられるように方向づけをするのが洋楽マンの仕事だと思っていました。それは、あらゆる意味での翻訳作業を伴うもんです。

 タイトルの翻訳があれば、内容のとらえ方についても、日本人が咀嚼しやすいようにするという仕事も含まれる。わたしのテーマは、ですから、「日本の洋楽」。

 赤坂に「津つ井」っていうレストランがある。暖簾にね、「日本の洋食」て書いてあるの。「これだ」って思ってね。「いただき」、って。

「プログレッシブ・ロック」命名のいきさつ

浜野 石坂さんの名前とともに必ず言われるのが、「プログレッシブ・ロック」という言葉の命名者だってこと、ですね。

 言葉というのはとても大事で、例えば「おたく」という言葉が造語されるまで、あの言葉が一括りにしたようなある種の傾向をもった人々の存在は、見えていなかった。

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