2024年4月20日(土)

東大教授 浜野保樹のメディア対談録

2010年10月16日

イギリスと日本、意外にも同じ位相

浜野保樹教授(以下「浜野」) 当時、向こうのポップスに日本語歌詞つけてやってましたよね。そういうのに興味はあまり…?

石坂敬一会長

石坂敬一会長(以下「石坂」) いや、ありましたよ。

 それで言うと、ロックンロールが日本で勃興した時と、それがイギリスで伸びた時とを比べると、民度が日英ともほぼ同じだったと思うんですよ。

 つまり、アメリカという総本山があります。エルビス・プレスリー、ヒッキー・ネルソン、ニール・セダカ、ポール・アンカ、チャック・ベリーといった人たちがいて、これが本家本元。そのコピーをせっせとやっていたのが、イギリス、日本の2カ国なんです。

 フランスはやってない。イタリアもしてない。ですから世界でアメリカの歌を真似していたのは日英2か国だけで、1958年ごろから61年ごろまで、日本とイギリスのいた場所はほとんど同じと言える。

 日本じゃ、平尾昌晃さん、山下敬二郎さん、ミッキー・カーティスさんね。

 このあとに、水原弘(1935-1978)さん、井上ひろし(1941-1985)さん、それから守屋浩さんの「3人ヒロシ」。この「3人ヒロシ」にかまやつひろし入れるヤツもいる(笑)んだけど、これ、間違い。

 で、そのころイギリスは、エルビス・プレスリーのエピゴーネンとして、クリフ・リチャード、トミー・スティール。そのほかじゃ、ブレンダ・リー、コニー・フランシスっていうアメリカの女性歌手のコピーとして、ヘレン・シャピロ、アルマ・コーガン(1932-1966)。

 それが日本では、森山加代子、弘田三枝子の初期、青山ミチ。

イギリスは音楽の革新、日本はメディアの転換へ

 ここまでは、アメリカで生まれたエルビス・プレスリーなどロカビリーの国内用コピーを、それぞれイギリスと日本でやってたって話。

 しかしこの、どっちかというと着せ替え人形的、仮衣装的、業界主導的だった音楽シーンを、イギリスは打ち破る。それが、大学生の間で始まっていた、カウンター・カルチャーとしてのブルースです。アンダーグラウンド音楽の台頭です。

 日本ではその頃、アンダーグラウンドないしサブカルチャーが出てこず、テレビと結びついた芸能ビジネスの拡大になっていくんです。どっちがいいって言うんじゃありませんよ。

 しかし音楽の転換を探求したイギリスと、メディアの転換に至った日本、ていう図式にはなる。


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