赤坂英一の野球丸

2017年11月15日

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 テレビ、新聞、雑誌など様々なメディアでプロ野球の振り返り企画が組まれるシーズンオフ、日本シリーズにおけるDeNAの健闘ぶりは繰り返し語られることだろう。とくに0勝3敗の崖っぷちで迎えた11月1日の第4戦、ドラフト2位新人の浜口遙大が、豪打のソフトバンク打線を無失点に抑えた力投はいまだ記憶に新しい。

(melliott1605/iStock)

 7回3分の1まで無安打無得点(四死球2個、失策1個)は、2007年の中日・山井大介の8回無安打無得点(四死球、失策ともに0個)に次いで歴代2位。新人としては1991年の佐々岡真司(現広島二軍投手コーチ)と並ぶタイ記録である。もし浜口が九回まで投げ切ってノーヒットノーランを達成すれば、もちろんシリーズ史上初、日本の球史に残る快挙となるところだった。

 マスコミ各社の担当記者がその快挙達成の予定稿を書き、浜口の力投を固唾を呑んで見守っていた最中、八回1死からソフトバンク代打・鶴岡慎也に右中間へ二塁打を打たれてしまった。浜口は試合後、「あそこは浮いた球を打たれました。アレさえなければ最後(ノーヒットノーラン達成)まで投げ切れたのに、という悔しさはありますね」とサバサバした表情でコメント。アレックス・ラミレス監督も「浜口は最後まで投げさせたかった。日本シリーズでノーヒットノーランが実現したらすごいことだろう。ヒットを打たれたらすぐに(抑えの)山崎(康晃)に代えればいいんだから」と残念そうだった。

 このとき、ソフトバンクのベンチで「わしも昔は惜しいことをしたのう」と、しみじみと自分の球歴を振り返っていたのが達川光男ヘッドコーチである。ほかでもない、26年前のシリーズで佐々岡がノーヒットノーランをやりかけたとき、その投球を捕手として受けていたのが達川ヘッドだったからだ。

 西武と対戦したこの年、狭いことで有名な旧広島市民球場で行われた第4戦、それまで味方(ショート・野村謙二郎)の失策1個による走者しか許していなかった佐々岡が、7−0と大量リードして迎えた八回、1死から石毛宏典の代打・森博幸を四球で歩かせた。ここで鈴木健を打席に迎えた達川は「ホームランを打たれちゃいけん」と安全策を取り、佐々岡に対して外角へボール気味の球を要求する。これが裏目に出て鈴木に踏み込まれ、この試合初のヒットにされてしまい、史上初の快挙も夢と消えた。「あそこで、いつものわしらしく強気に内角を攻めさせとけば、佐々岡もわしも歴史に名が残ったんじゃが」とは、26年後の達川ヘッドの悔恨の弁である。

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