赤坂英一の野球丸

2017年11月15日

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〝ささやき戦術〟がやぶ蛇

 ちなみに、達川ヘッドにはソフトバンク・工藤公康監督との間にも因縁がある。達川がやはり広島の正捕手、工藤が西武の先発投手として対戦した1986年の日本シリーズでは、広島が第1戦の延長引き分けから第4戦まで3連勝。一気に4連勝するかと思われた西武球場(現メットライフドーム)での第5戦、抑えの津田恒美が投手の工藤にまさかのサヨナラヒットを喫した。ここから広島は4連敗し、日本一の座を西武に譲ったのだ。

 このときは、打席の工藤に達川が仕掛けた〝ささやき戦術〟がやぶ蛇になった。当時、ウエートトレーニングで身体が大きくなっていた工藤は、ユニフォームのボタンを上からふたつ外してプレーしていた。これを達川がネタにして、「おい、ボタンぐらいちゃんとかけとけ」とやった。工藤はやむなくボタンを外しているのに、いかにもだらしない格好をしているかのように言われて発憤。「あの一言で初球から打っていこうと思いました」とコメントしている。

 この場面で達川が津田に出したサインは、「内角低めの真っ直ぐ」。それが甘く真ん中寄りに入ったところをたたかれた。このときは「内角じゃのうて、もっと慎重に外角低めから入るべきじゃった」と、達川は佐々岡のケースとは真逆の反省の弁を口にした。あれから31年後、まさか工藤と達川が同じチームの監督、ヘッドコーチとして日本一を目指すことになるとは、このときは本人たちも夢にも思わなかったに違いない。

 最後に、浜口の力投にまつわる〝因縁話〟をもうひとつ。彼が力投を披露したのと同じ11月1日、落合博満・元中日監督が大阪毎日放送の『戦え!スポーツ内閣』というテレビ番組に生出演、2007年のシリーズで八回まで完全試合を続けていた山井を降板させた真相を語っていた。実は、このときの山井は万全の状態ではなく、森繁和ヘッド兼投手コーチ(現中日監督)に「九回もいくか」と聞かれ、「いけません」と答えたのだそうだ。

 ちなみに、浜口は1995年生まれの22歳で、1986年や1991年の日本シリーズなど知る由もない。2007年はまだ小学6年生だったが、そのころから日本シリーズで投げる自分を夢見ていたのだろうか。

  
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