ヒットメーカーの舞台裏

2010年11月29日

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池原照雄 (いけはら・てるお)

ジャーナリスト

1950年生まれ。専門紙や全国紙の経済記者として自動車、エネルギー、金融、官庁などを担当。00年からフリーになり幅広い執筆、講演活動を展開。著書に「トヨタVSホンダ」(日刊工業新聞社)、「図解雑学 自動車業界のしくみ」(ナツメ社)など。

 独特の切れ目を入れており、鶏卵の黄身についている白濁色のカラザと呼ぶ部分を取り除く。東京都大田区の町工場、永裕製作所代表の永田栄吉(85歳)が10年前に開発した。長年、お蔵入り状態だったが、2008年からテレビや新聞などで紹介されるようになり、09年5月に680円で発売した。年1万本のペースで売れている。

生卵の「カラザ」を取り除く「クローバースプーン」(680円)

 卵のカラザは、黄身を中心部で安定させるための白身との連結部であり、主成分はたんぱく質。食べてもまったく問題ないが、見た目から嫌う人も少なくなく、また、茶碗蒸しなどでは、取り除いたほうが生地のダマを防ぐことができる。

 永田は、卵かけご飯が好きで毎朝のように食べているという。カラザは必ず箸で取り除いていたが、手間取ることが多かった。ある日、子ども用の先割れスプーンを見かけ、購入してカラザ取りに使うとうまくいった。そこから、工場にある機械や工具を使い、手作業で「四葉のクローバー」形状をした現在の製品に仕上げていった。

 スプーンの切れ目は先端だけでなく、左右にも入っている。これは卵を割った際に、カラザの位置がさまざまに変わるためで、その位置によっては横の切れ目が有効となる。永田は、色々なパターンを繰り返して最終形に仕上げたが、その形がクローバーに似ていたことから商品名にもした。

サラリーマン時代から、街の発明家

 50歳で脱サラし、金属部品加工業の永裕製作所を立ち上げた永田は、中堅商社勤めをしていたサラリーマン時代から、街の発明家でもあった。40代だった1972年には発明協会が主催する全国コンクールで「新聞整理箱」が入選し、東京のメーカーが商品化を引き受けてくれた。

 折りたたんだ新聞を収納するボックスに予めヒモがセットできるようにし、新聞がたまったら、そのままヒモで括るというものだった。北海道ではずっと昔から昆布を束ねるのに同じ方法が使われていたということで、残念ながら特許の取得はならなかった。しかし、受賞とアイデア料がもらえた商品化は、その後の永田の発明人生の大きな支えとなった。

 工場を立ち上げた70年代は大田区の町工場にも活気があった。永田は、金属部品同士を機械で圧接するカシメという工法を身に付け、大手のオーディオや複写機メーカーから注文を取った。最盛期には5人を雇い入れるほど、順調に仕事が入った。

 東京の両国にあった実家も部品の加工や機械を造る工場だった。旋盤などの機械音や油のにおいがする環境で育ち、モノ作りは身近な存在であった。手先の器用さや発明品のアイデアを練るのが好きなのは「親父譲りでしょうな」と言う。

 実際、父親はサイダーの瓶詰め工場向けに、瓶を自動搬送するコンベアを独自で開発し、主力製品にしていた。そうした日々も、永田の旧制中学時代に暗転していく。日本が太平洋戦争に突入した年に父親が急逝したのだった。工場は軍需品の製造で持ちこたえていたものの、45年3月の東京大空襲で焼失した。

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