宮城県出身の俳優には風格の大きな人が多い。
古いところではまず月形龍之介(1902~70年)。東映時代劇で水戸黄門やら大久保彦左衛門を演じる大物脇役として重きをなしていたが、それ以前に黒澤明の「姿三四郎」(1943年)の三四郎を気迫で圧倒する敵役の柔術家が見事なものだった。遠田郡小牛田町(現美里町)出身である。
昭和10年代に日活多摩川という撮影所が傑作名作を続々と出し日本映画の良心と称えられたが、「人生劇場」(1936年)、「路傍の石」(1938年)、「五人の斥候兵」(1938年)などで熱演して、名優の名をほしいままにした小杉勇(1904~83年)は漁港で知られた石巻の出身である。月形龍之介もそうだったが、この小杉勇がまた黙って画面に現れただけでその場に充実感がみなぎる風格の大きな渋い俳優であった。小杉勇は民謡研究家でもあり、残されている映画「限りなき前進」(1937年)ではその名唱をたんのうすることもできる。
こういう大先輩たちの風格の大きさを現役で演じているのが仙台出身の菅原文太である。
ファッションモデルから映画の甘い美男役をへて東映やくざ映画の実録路線で凄味を見せて大物のひとりになった。「わたしのグランパ」(2003年)など、ほんと、真似手のない、あたりを払う風格で見せるいい演技だった。
コメディアンでやはり、道化ぶりが見事にスケールの大きな風格に至った由利徹(1921~99年)も石巻である。
明るい健全な役が多くて好感度の高い俳優である中村雅俊は牡鹿郡女川(おながわ)町の出身だ。
女優では若尾文子が、東京出身だが戦争で仙台に疎開していて、女学生時代から美少女ぶりが評判になっていた。井上ひさしの自伝的な青春小説「青葉繁れる」に男子高校生たちの憧れのまととして描かれている女子高校生のモデルは彼女だという。しかし本人はなんとかして東京にもどりたくて、女優になったのもそのためだそうである。可憐な役から強烈に自我を主張する役まで、芸域は広く、日本映画を代表する大女優のひとりである。
現役第一線の女優では富谷町で育った鈴木京香がいる。こちらも堂々とした風格派。「血と骨」(2004年)ではビートたけしと夫婦役で立派に渡り合った。男たちなんかに負けていない貫禄が天晴れである。
映画監督では若松孝二が遠田郡涌谷町の出身である。1960年代に当時低俗なエロ映画として軽蔑されていたいわゆるピンク映画で前衛的な思想と表現のある力作を連発してあっと言わせた。以後も日本映画の風雲児でありつづけている。「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」(2008年)が渾身の力作だったし、最新作の「キャタピラー」(2010年)も熱血あふるる反戦映画である。
仙台市出身の岩井俊二は「Love Letter」(1995年)で日本だけでなく広くアジア各地の若者たちから圧倒的な人気を得た。「リリイ・シュシュのすべて」(2001年)も彼ならではの不思議な味わいのある青春映画だった。ときに演出が空回りするが貴重な才能である。次の大ヒット作を期待する。