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2011年3月8日

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園長になったとたんに動物園が閉園。新しい動物園の構想に参画できぬまま、
動物の選定が進み、飼育スペースも決まってから、再度園長就任の打診。
北九州市にある到津の森公園園長の岩野俊郎は、張り詰めていた気持ちが切れ、
自分の理想とは異なる条件が所与のものとして規定されたなかでも、
できることから積み上げていくことで、存在価値ある動物園をつくってきた。

岩野俊郎(いわの・としろう)
到津の森公園園長。1948年生まれ。73年に西日本鉄道株式会社到津遊園に入社し、97年に同園長に就任。2000年の同園閉園後、01年に北九州市都市整備公社職員となり、02年より現職。   写真:田渕睦深

 仕事に思い入れがある。それなのに自分の力が及ばないところで、情熱に水をかけるような環境に取り囲まれ、張り詰めていた気持ちが切れてしまう。こんなふうに、意図とは異なる条件が所与のものとして規定され、モチベーションもダウンした時、人は言い訳こそすれ、前に向かって進むのは容易ではない。

 こうした状況に陥りながら、自らエンジンをかけ直して走り続けてきたのが、福岡県北九州市の到津(いとうづ)の森公園で園長を務める岩野俊郎だ。1932年、西日本鉄道が小倉市(現・北九州市)の中心部に、遊園地と動物園をあわせた性格の到津遊園を開園した。岩野は73年に獣医師として入社。当時、園をにぎわせた多数の来訪者は90年代には半減し、毎年3億円もの赤字を出すようになった。そんな最中の97年に岩野は園長になった。就任から間もなく、さあこれからという時に、岩野は西鉄の役員に呼び出され、到津遊園の閉園を告げられる。

園長にするなら、なんで
意見を聞いてくれなかったのか

 「赤字で続けるのは無理だと思っていたので、新しい園のあり方を本社に話したりしていましたが、閉園は想像していませんでした。自分の動物園がなくなる。張り詰めていたものが、ぷつっと切れました。残務処理をやるのが自分の務め、その後は西鉄系列のホテルの支配人になるのでも何でもいいやと思っていました」

 ところが98年に西鉄の社長が閉園を発表すると、北九州市民から存続を求める声が沸き起こった。26万人を超える署名に市が動かされ、到津遊園は閉園するが、市が土地の一部を購入し、西鉄から譲渡も受け、新しい動物園をつくることになった。市は動物園の計画策定を、コンペを経てコンサルタント会社に委託。岩野は参画するどころか、意見さえ聞かれなかった。

 到津遊園の長短を知っている岩野さんに、意見くらい聞くのが普通だと思いますが?

 「自分は辞める側の人間だと思っていたし、市も同じ意識だったのでしょう。そのコンサルは横浜市の動物園をつくった経験があったので、横浜の小型版にするのではと懸念していましたが、果たしてそうなったと思いました。僕は、新しい動物園に到津遊園の飼育係が残れるようにお願いし、後は(不要とされた)動物の引き受け先を探して国内の動物園や水族館に連絡をとったりしていました」

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