報道統制の厳しい中国で、新聞記者をやってゆくとすれば、官僚記者となるか、新聞民工となるか。実はこの二者択一だけではない。
多くの記者は、与えられた役得で満足し適当に仕事をながす記者となる。彼らにはあまり報道に対する情熱も出世欲もない。ただ金のために働く。そういう記者の中には、自分のもっている株や不動産に有利なインサイダー情報を取るために企業取材をし、汚職や腐敗のネタをつかめば、報道して宣伝部に睨まれるよりは腐敗の隠ぺいに協力して賄賂を貰う方を選ぶ人もいる。新商品宣伝の記者会見でお車代を包んだ封筒を貰うくらいは、数年前はほとんどの記者が特に罪悪感もなくやっていた。また日系企業批判や反日歴史記事などは載せれば売れるドル箱ネタであり、宣伝部から比較的文句が出にくいテーマなので、日中関係が何がしか波だったときはお決まりのように書かれる。そういう記事の中で識者コメントの捏造などもしばしばある。しかし、バッシングされる日系企業側も、コメントを捏造された識者側も内向きには文句を言っても、中国メディアを訴えるわけでもなく(訴えても無駄だが)、黙って耐えるだけだ。そういう日系企業批判記事を書いたことのある記者を直接知っているが、本人はたいてい、日本ブランド好きであったりするのだからあきれてしまう。
そういう意味では全体的に中国のマスコミの報道倫理は低い。しかし、これはまともに取材すればするほど、宣伝部に睨まれ、報われないという中国の報道統制下ゆえの、記者の堕落だと私は思う。
つかんだネタでゆする記者と殺される記者
記者の倫理問題でこの10年の間何度も大きな事件として報道されてきたのは「封口費」事件だ。「封口費」というのは、文字通り口止め料の意味で、炭鉱事故などが発生して現場に取材に来た記者に「お車代」だの「辛苦費」(お疲れさん手当)といった名目で金を渡し、事故原因や死者数を隠ぺいするのに協力してもらう。こういう賄賂に慣れてくると、そのうち炭鉱事故がおきると、すわ現場にとんで「封口費」をたかるようにもなってくる。
たとえば、山西省霍宝乾河炭鉱で2008年9月に事故がおきたとき、60人ほどの記者が続々と現場に“取材”にやってきて、炭鉱事務所オフィスで「封口費」を受け取るために行列をなしていた、という事件があった。この60人の記者のうち28人は記者のふりをしたニセ記者だったという話だが、それでもたかり体質の記者がそれほどいたのは驚きだろう。この事実をすっぱ抜いたのは西部時報の山西省駐在のアルバイト記者だった。彼は「封口費」欲しさに行列をなす記者たちの写真を撮影したのだが、それを新聞ではなく、匿名でブログに掲載した。この匿名記事は何度も削除されたが、そのつど掲示板に再投稿し、抵抗するうちにネット世論が騒ぎ出し、中央メディアなども取り上げるようになった。このアルバイト記者はこの特ダネの功績が評価され正規採用の記者となったが、もし新聞紙面に記事を掲載しようとしたら記事は握りつぶされ彼は解雇されていたかもしれない。そう判断したからネットに投稿したのだろう。そのくらい、中国のマスコミも腐敗している、ということだ。