WEDGE REPORT

2009年2月20日

 私はこの15年くらい、「クオリア」ということばをキーワードに研究を続けてきました。クオリアというのは、ごく簡単にいえばものごとの質感のことです。たとえばわたしたちが鮮やかな赤や空の青、楽器の美しい音色を感じたりすることも、クオリア問題に関わる。だから、この「クオリア」というのは、生命力、生命感、つまり生きているという感じにすごく結びついているんです。路傍の花の色を美しいと思ったり、「水が冷たい」とか、「ぐっとくる感じ」、「切ない感じ」とか。そういうクオリアを解明するというのが私のライフワークなんです。

 日本という国についても、クオリアを通して考えてみると、この国で一度しかない人生を送る私たちにとっての生命哲学が見えてきます。日本人は、四季折々の変化に恵まれる中できめ細やかな文物を育み、愛でてきました。私たちは、心の中に生まれるクオリアのニュアンスに敏感です。夏の夜の闇を飛ぶ蛍(ほたる)の淡い光に生命のあり方の本質を見る日本の感性。鮮度の良い魚の美味しさを、その種類や産地、旬によって区別して活かすことを知っている。人の行き交いの機微を心を動かす物語にすることを知っている。世界のさまざまな地域、文化で生み出されたものを受け入れ、自分たちのものとすることを知っている。命を愛し、大切にするその気持ちさえあれば、何が起こるかわからないこの世の中を生きていく上での尽きないエネルギーを得ることができるはずです。

 いま、クオリアを通して生命哲学を考えることが大切だと申し上げました。しかし、現代はまさにインターネットの時代でさまざまな情報が溢れ、そして世の中に溢れているものというのはすぐに陳腐化する。こうした移り変わりの早い時代です。人々の欲求はすぐ変わり、突出したオリジナリティがなければすぐに真似されコピーされてしまって、自分じゃなくても他の人がつくればいいということになってしまいます。こういう時代だからこそ、私たちは断片の知識ではなく、もっと体系性をもった生きた情報に接さなくてはならない。

 私は、よくある「日本の文化はこうだ」とか、大上段からものを言う雑誌や本にはずっと違和感をもっていました。単純に「和のものがいい」とか、ああいうものに何が欠けていたかが、ごく最近になってよくわかるんです。それはまさに生命なんです。

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