個人美術館ものがたり

2011年4月18日

»著者プロフィール
著者
閉じる

赤瀬川原平 (あかせがわ・げんぺい)

画家、作家

1937年、神奈川県生まれ。60年代にネオ・ダダイズムなど前衛芸術運動に参加。80年「尾辻克彦」名の『父が消えた』で芥川賞を受賞。『散歩の学校』『昭和の玉手箱』『千利休 無言の前衛』など著書多数。

絵画作品に加えて、壺やオブジェなどの楽しい作品がいっぱい。
遠く伊勢湾の海の青を望む美術館には、これでもかといわんばかりに
洋画家の遊び心がたっぷりと詰め込まれていました──。
 杉本健吉の絵はどれも好きだ。時間があれば絵の中をあちこち、じーっと見ていたい。絵の中に嫌いなところがないのだ。

 描写ということが、絵の奥の方で光っている。対象を見たときの感じが、画家の手を経てキャンバス上で絵になっていく、その過程が逐一味わえて、それが気持いい。

 絵の中の色や形、筆先のリズム、線を引く決断、そしてまた対象に戻るまなざし、そういったことのすべてが快いバランスをもって、絵の中で飽きることなく展開されている。

 気持がいいのは、結局その流れなのだろうか。たとえば野球のピッチングでも、ただの剛球一本ではなくて、緩急を使った巧みさ、というようなことがよくいわれる。胸もとの速球でのけぞらせて、次はアウトコースの低めに逃げていく球、というような、全体の流れの中での変化の形。

板書もそのままのアトリエ

 まるで違った話になったが、でも杉本健吉の絵を見ていると、その「緩急」という言葉が思い出されてくるのだ。色の強さや弱さ、コントラストの緩急、あるいは目の前の風景と、出来上がっていく絵と、その間を往復するまなざしの緩急、ということにも気づかされる。そのすべてが快いのだ。でもこれは、絵の好みの問題なのかもしれない。

 絵の尺度として、一つには傑作というのがあるが、それとは別に好きな絵、というのがもう一つある。これは人によっていろいろと違うもので、いま自分が書いたことは、むしろそちらの方のことかもしれない。傑作と好きな絵とはかなりの部分重なるものだと思うが、でも人によっては大きくずれる場合もあるので、何ともいいにくい。

関連記事

  • PR
  • 新着記事

    »もっと見る