WEDGE REPORT

2011年5月16日

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 福島第一原子力発電所1、2、3号機で爆発が相次いだ3月12~15日から1週間ほどの間、成田空港は日本を脱出する外国人で溢れかえった。香港メディアによれば横浜中華街からは約2割の中国人が日本を離れたという。

 3月16日の段階で、米国は自国民に対し原発から80キロ圏外への退避を勧告。フランスは国外退避や東京以南への移動を勧告し、エールフランス機や軍用機を手配した。ベルギーやチェコも軍用機を派遣、韓国も派遣の検討を行うなど、各国の動きは速かった。

 米国大使館は領事業務支援チームを配置し、米国市民の所在確認、避難所の巡回、退避のための交通手段の確保を行った。仙台から東京行きバスを600人以上分用意し、国務省は脱出を希望する米国民のために東アジアの都市に向かう航空便を手配したという。

 フランスは、在仙台領事や公的団体職員などが衛星電話などで被災地に滞在する自国民に個別に連絡。本国には危機管理センターが設置され、海外で非常事態が発生すると、家族からの安否確認を受け付ける。在留届のほかに、家族からの連絡も利用して、自国民の把握を行うわけだ。こういうセンターの設置は先進国では一般的である。

リビア動乱 邦人退避の現実

 外国人の大脱出に不満を感じる日本人は少なくないだろう。しかし、本稿で指摘したいのはそこではない。

 2月24日。銃撃戦で状況が次々刻々悪化するリビアの首都トリポリから、ある日本企業の4人が命からがらマルタへ脱出した。そのなかの一人、牧紀宏氏はこう述懐する。

 「すべて自分たちで手配した。東京の事務所がアリタリア航空のローマ行きを予約してくれたが、空港につくとフライトはキャンセルになっている。同行した現地スタッフがアラビア語で航空会社各社と2時間交渉し、20時発のマルタ行きをおさえてくれた。待っていると、15時30分ごろ、一本前のマルタ行きにCheck-Inのサインが出た。現地スタッフがタフな交渉をし、その便に変更することができた」

 無事トリポリ空港を飛び立ち、マルタに着くと20時発の便がキャンセルになったことを知った。しかもその晩、空港は閉鎖された。臨機応変に動いていなければ脱出はできなかった。ちなみに航空会社に預けた荷物は、混乱のなかついに戻ってこなかったという。

 実は牧氏は前日の23日も脱出を試みている。22日に出国した同僚から「欧州各国の大使館が誘導しているが日本大使館の姿はない」との情報を得ていた。しかし日本大使館から「出国を手伝う」との連絡があったため、期待して空港に向かうと、建物入り口には数千人の人々が殺到。ドイツやカナダは目立つジャケットを着て、大きな国旗を掲げて誘導しているが、日本大使館員の姿は見当たらない。たまたま駐車場で大使館の車を見つけ、中で待っていると、大使館員が現れた。入り口めがけて誘導してくれたが、持っているのは20センチほどの小さな日の丸。パニックになった群集にガードマンが警棒を振り回し、将棋倒しが発生した。血を流す人もおり、身の危険を感じて予約していた便は諦め、引き返した。

⇒次ページ 7人の邦人を残し大使館は閉鎖

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