2024年11月25日(月)

Wedge REPORT

2011年5月16日

 滞在していたホテルに戻ると、大使館から「24日中には国外退去を。アリタリア航空のチャーター機をアレンジしている」とのメールが来た。しかし行き先も時刻もなく、トリポリに2つある空港のどちらかも書いていない。特別な方策なしに正面突破を試みた政治力のない大使館員の姿を思い出し、頼らないことを決心した。一晩かけて、ビジネスで蓄積したあらゆる伝手を辿った結果、安全かつ優先的に空港内に入れてもらうことができたという。

 実際、大使館が交渉した23日のアリタリア航空チャーター機は飛ばなかった。パイロット組合が了承しなかったようだ。24日、商社社員や大使館職員ら17人の邦人がスペイン軍用機でマドリッドに脱出した。25日、前原誠司外相は定例記者会見で、なぜか「スペインのチャーター機」と表現した。

7人の邦人を残し大使館は閉鎖

 リビアの在留邦人は約80名だったが、2月25日段階で残っていた邦人は23人。3名は大使館員で、9人が出国意思のない人、4人が米国救援船に乗船し出航を待っている人、7人がベンガジ、ミスラタ、シルテなどの発電所建設や石油採掘のサイト(現場)に残る日本企業3社の民間人だった。

 7人はトリポリから距離があり、陸路移動よりもサイト内にいたほうが安全という状況にあった。トリポリの情勢はさらに悪化し、3名の大使館員は7人を残したまま、25日深夜に隣国チュニジアに脱出することとなる。

※参考記事 : 「7人のリビア邦人 なぜ政府は救えない」

 7人はその後、次々と出国するが、完了したのは3月5日だった。うち6人は、韓国企業の下請けで仕事をしており、韓国企業の手配で出国した。韓国企業は、バングラデシュ、ベトナムなどの労働者まで母国に帰す手配をしたというから立派なものだ。中央日報によれば、リビア在留の韓国人は1400人。韓国政府は、大韓航空機だけでなく、諸外国のチャーター機、さらには駆逐艦も動員したという。

 日本政府は、航空自衛隊所属の政府専用機をリビアに飛ばすことを検討しなかった。自衛隊法には、外務大臣からの依頼があった場合、在外邦人等の輸送に自衛隊の航空機や船舶等を用いることができるとの定めがある。実際、イラク戦争で、サマワの日本人記者たちを自衛隊機で運んだこともある。

 先の定めには「輸送の安全が確保されていると認められるときは」という前提条件がついている。ただし、これは決して今回のリビアのような紛争地域すべてを排除するものではなく、自衛隊員が武器を使用しなければならないような戦争状態の地域には派遣できないという定めのようだ。しかし、政府専用機を派遣するには、諸外国の民間チャーター機などへの手配よりも合理的だという政府の判断が要る。「日本にはそれを決断する司令塔がない」(軍事アナリストの小川和久氏)。

※参考記事 : 「自衛隊の邦人救出を可能にせよ」

トルコに救ってもらった25年前の日本

 自衛隊法に邦人輸送の定めがなかった1985年。イラン・イラク戦争に伴う急激な状況悪化から、在イラン邦人215名を脱出させたのは2機のトルコ航空だった。トルコ人の多くは危険な陸路を車で脱出したのに、日本人救出のためにトルコ航空機が使われたのである。


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