チャイナ・ウォッチャーの視点

2011年5月19日

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平野 聡 (ひらの・さとし)

東京大学大学院法学政治学研究科教授

1970年、神奈川県生まれ。東京大学法学部卒業。東京大学法学部教授。アジア政治外交史担当。著書に『大新帝国と中華の混迷(興亡の世界史17)』(講談社)、サントリー学芸賞を受賞した『清帝国とチベット問題 多民族統合の成立と瓦解』(名古屋大学出版会)がある。

 世界史上まれに見る大震災に見舞われた日本の今後の歩みをどのようなものにするべきかについて、上は政府の復興構想会議から、下は広く日本国民一般の日常会話に至るまで、あらゆるレベルで「輿論」が沸騰しているかのようである。しかしそれは、単に過去数十年来の日本国内に蓄積した問題点を再検討するのみで済ませるわけには行かず、国際環境、とくに近隣諸国の変化や日本への視線といった影響を受けざるを得ない。

 とくに、震災後約2ヶ月を経た中で、中国は日本を取りまく事態から何を読み取り、日本に対してどのように考えているのかという問題は避けて通ることが出来ないだろう。

中国の意識を変えた四川地震

 中国は本来、1976年に20数万人の死者を出した唐山大地震や、雲南省などで度々繰り返される地震など、地震とは無縁ではない。しかし地盤が安定した多くの地域では従来地震の記憶が薄く、かつては「喜びを報じ憂いを報じない」メディアの体質もあって、地震国であるという自己認識の欠如すら往々にして一般的であった。

 しかし近年は、共産党政権の維持にとって死活的な関わりを持つ「社会の安定」を維持するうえで、災害の実情とその救済に関する相応の情報を提供することはむしろ必要であると考えられるようになった。とりわけ、共産党中央や地方指導者が先頭に立って危機克服の陣頭指揮をとり、被災者を慰問する姿を積極的に見せることによって、金権政治や格差の拡大などに由来する共産党への不満を緩和し、「共産党の果断で正しい措置があってこそ迅速な復興が実現する」というイメージを流布することができる。加えて、メディアそのものを取りまく状況をみると、「党の指導」と「国家の統一」という二大タブーを除けばここ10数年来の間に「報道の空間」が相当広がり、市場経済の中で急速に増大したメディアが熾烈な競争を展開するようになった。その結果、洪水・干ばつ・地震が発生するたびに、報道は過熱の度を加えているように思われる。

 とりわけ、今から丁度3年前に発生した四川地震は、先進国に匹敵する報道機材を備えるに至った中国のメディアが、一種の総力戦でリアルタイムに、しかも往々にして共産党宣伝部によるチェックの速度をも上回るかたちで膨大な量の災害情報をもたらした。それを目撃した中国の一般庶民、とりわけ一定の経済力と知識を備えた中間層は、被災地救済のために一体何が出来るかを自発的に考えて各種のボランティアに従事した。また、現場にいち早く駆けつけた日本の国際救助隊の果敢にして死者への節度を保った活動に対し、日中関係の曲折とは関係なく拍手喝采が送られた。その結果、中国自身の救助隊を如何に充実させ、如何に中国の名において国際貢献すべきかというテーマへの関心の度合いも深まったように思われる。

「東日本大震災」に史上空前の取材体制

 そのような矢先に発生した東日本大震災であったからこそ、日本でも伝えられた通り、中国の各メディアは中国史上空前の取材体制を布いた。海外における通常の災害であれば、国営新華社通信が配信する記事に依拠して報道するのが従来のやり方だっただろう。しかし今回は、新華社や中国中央テレビのみならず各主要都市の有力紙も一斉に取材陣を日本に送り込み、又しても党宣伝部が検閲する暇もないほどの量とスピードを以て、震災に直面した等身大の外国社会、しかも彼らにとって歴史上最大の「忘れ得ぬ他者」(ナショナリズム一般の成立要因を鮮やかに描いたベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』の表現) である日本社会を取材したことは、まさに中国近現代史上における一大画期であると言えよう。

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