2つ目は、そうした協力が次第に地中海から太平洋にまで及ぶ「域外」作戦に広がるに従い、インド政府は米国と足並みを揃え、海から中国をやんわり取り囲む作戦にも参加するであろうと、そういう期待だった。
2004年のインド洋大津波の後、インド政府が直ちに米太平洋軍司令部(PACOM)本部に臨時の連絡将校を派遣したことや、東シナ海での3カ国合同軍事演習に前向きに参加した姿勢、さらにはマラッカ海峡への進路となる極めて重要なインド洋上で広範な多国籍合同軍事演習を主催してきた実績が、こうした考えに説得力を持たせた。
しかし2つの期待は両方とも、所期通りの展開にはならなかった。米国がインドと原子力協定を結び、国連安全保障理事会常任理事国入りを目指すインドを支持したにもかかわらず、インド政府は、厳密に中印という2国間の関与以外、どんな安全保障の枠組みの中でも中国と対峙する意欲は見せていない。また、2国間防衛計画で米国が望むような「共同性」や相互運用性の度合いも支持していないようだ。
実際、防衛の相互運用性が半ば非公式な軍事連携の様相を帯び始めるところでは、反射的にそうした関与から手を引くのがこれまでの傾向だった。
一定の距離を置いて
アメリカに協力するインド
米国政府が最初に話を持ち出してから10年近く経っても、インド政府はまだハワイのPACOM本部に佐官級将校を恒久的に送ろうとしない。米国の戦闘集団とそのような関係を築くことは望まないという最近のインド国防省のコメントや、インド国防軍軍人が外国の軍事使節と監視抜きで接触することを禁じた同省の対応は、PACOMと軍対軍の関係で意見を述べ合うことすらその余地は狭まっていることを示唆している。
インド政府は「マラバール」と称する海軍合同演習の過程で米軍の戦場ネットワークシステム「CENTRIX」の機能を知る例外的な機会を得られたにもかかわらず、いまだに戦術的通信システムの相互運用を容易にする合意覚書(略称CISMoA)に署名するのを嫌がっている。余計な介入に対する懸念にも駆られ、インド政府は米国ではなく、ロシアの測位衛星システムに頼る決定をした。軍事作戦に使用可能なナビゲーションシステムだとはいっても、ロシアのそれはまだ半製品状態でしかないにもかかわらず、だ。
米印マラバール合同演習で訓練が行われたような海軍間の洋上燃料交換が、平時、有事を問わず、南シナ海やそれ以外の海域での対米給油に前例を作ってしまうことを恐れ、インド政府は相互の「後方支援協定(LSA)」の調印からも手を引いた。
後方支援協力に関する条項は、米印海上安全保障協力の枠組みを立案していた時(2006年)に、相互運用性を助ける成果を米国政府が明確に確保した珍しい例だったことは、注記に値するだろう。
2007年には、インドがベンガル湾で米、印、日、豪、シンガポールの5カ国合同軍事演習を主催した。すると中国は外交ルートで各国へ苦情を申し入れ、その言葉づかいたるや露骨なものだった。受けたインドはインド洋地域でのマラバール軍事演習をその後すべて厳密に米印二国間の演習にしてしまい、多国間でやるなら遠隔地でということにし今日に至る。