チャイナ・ウォッチャーの視点

2011年8月30日

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平野 聡 (ひらの・さとし)

東京大学大学院法学政治学研究科教授

1970年、神奈川県生まれ。東京大学法学部卒業。東京大学法学部教授。アジア政治外交史担当。著書に『大新帝国と中華の混迷(興亡の世界史17)』(講談社)、サントリー学芸賞を受賞した『清帝国とチベット問題 多民族統合の成立と瓦解』(名古屋大学出版会)がある。

 政治学では、1970年代以後、世界各地の権威主義国家において民主化運動が何故平和的に成功したのかを探る「民主化論」という一大テーマがある。

民主化運動成功に必須の「中間層」

 その共通了解として、民主化への移行のためには、政治体制から相対的に独立し、かつ経済発展や教育の充実によって高い政治・社会的判断力を備えるに至った中間層が相当の厚みを増す必要があると考えられている。

 近場を例にとると、冷戦期の台湾と韓国では、中国や北朝鮮との極めて強い緊張を抱えた権威主義体制(蒋介石・朴正熙を中心とした独裁体制)が続いた。しかし台湾と韓国は同時に、米国・日本に連なるアジアの資本主義陣営の一員であり、当初は労働集約的な産業から出発し、下請けや日本からの経済協力取り付けを通じて産業振興を図った結果、1970年代末には「アジア四小龍」(他の2つは香港・シンガポール) と呼ばれる経済発展を実現した。

 この結果生み出されたのが、既存の蒋介石=国民党、あるいは朴正熙=慶尚北道系軍人体制と距離を置いた膨大な数の中間層である。既存の権威主義体制が総じて「国民の素質と福利厚生の向上」を理由に独裁を正当化し、その通りに近代的で豊かな中間層が大量に生み出された以上、彼ら中間層は最早自らの政治的判断を縛る独裁に養ってもらう必要はなく、成熟し向上した者の当然の主張として民主化を要求した。その結果、台湾の党外人士(民進党の母体)に対する弾圧や韓国の光州事件に代表されるようにしばらく対立が続いたものの、権威主義体制としても平和的に権力を委譲する道を選んだのである。

 しかし従来の中国では先述の通り、共産党自身が中間層になり得る人々を予め党員として抱き込むことに相当程度成功してきた。勿論、中国には凄まじい矛盾がある。都市と農村の格差、都市戸籍と農村戸籍の身分差別体制、インフレに追いつけない庶民、環境破壊と食の安全の危機、「蟻族」問題、民族問題……。そんな中国社会の中で、豊かな生活を享受できる中間層は圧倒的な成功者である。彼らは、あるいは日常的には「鼓腹撃壌」の故事よろしく、共産党の恩恵などとは関係なく自らの才覚のみで立身出世してきたと思っているのかも知れないし、個別の党官僚の腐敗には憤っているかも知れない。それでも、現在のあらゆる矛盾が共産党体制そのものによって形作られ、その中で自らは弱者の犠牲の上にある勝者であることまで想像力が及ばず、「盛世」の繁華に満足して「安定団結」を望むこと自体、まさに共産党の意図するところである。

7・23高速鉄道事故の歴史的意義とは?

 しかし筆者が思うに、他の民主化したアジア諸国と中国の命運を大きく分け「現代中国における一大奇跡」とすら思えた《権威主義政党=共産党と中間層の蜜月》は崩壊しつつある。その決定的な契機こそ、中国で「7・23」という表現がすっかり定着した高速鉄道脱線事件に他ならない。

 この事件が露呈した諸問題、とりわけ事後処理のまずさの問題や高速鉄道運営に必要な技術的・経験的成熟の欠如に関する問題については、既にさまざまな解説や議論がなされているので詳論を避けるが、筆者がみるところ、この事件を政治社会的角度からみた場合の最大の歴史的意義は、共産党体制がついに中間層を敵に回したことにある。あるいは、中間層はこの事件を通じ、共産党体制の数十年来変わらないやり方が自らにも刃として突きつけられていることを直感的に認識したのではなかろうか。

 それは具体的にはどういうことか? 筆者の私見では、1958年から60年にかけて推進され、未曾有の餓死者とともに崩壊した「大躍進」モデルで説明出来る。

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