新華僑に圧倒される老華僑
変貌する横浜中華街


田中健之(たなか・たけゆき)
昭和38年11月5日福岡市生まれ。拓殖大学日本文化研究所附属近現代研究センター客員研究員を経て、岐阜女子大学南アジア研究センター特別研究員、ロシア科学アカデミー内全ロシア日本研究協会研究員。専攻はアジア主義。『中央公論』。『歴史群像』、『宝島』その他に執筆している。著書『横浜中華街』(中央公論新社)、『靖国に祀られざる人々』(宝島社)、『日韓合邦』(近刊)(学研)など多数。

日本のなかの外国を歩く

日本国内で暮らす外国人は正規に登録しているだけでも、2010年末までに約213万人に上った。20年前と比較すると約100万人増加したことになる。在日外国人といえば、かつては在日韓国・朝鮮人が主流であったが、2007年末からは在日中国人(台湾人を含む)が最も多くなり、1990年の入管法改正で定住者資格が付与され、就労などの制限が緩和されたブラジル、ペルーなどの日系南米人も急増している。それだけではない。世界中から外国人が続々と日本に移住し、全国各地に国別、民族別のコミュニティーを形成している。しかし、私たちはどれだけ在日外国人について、その実像について知識を持っているだろうか。このシリーズでは、在日外国人が最も多く住む首都圏を中心に各地のコミュニティーを取材し、そこで私たちが知らない彼らの生活の実態を紹介していきたい。

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震災の被害は中華街にも

変貌する中華街

 3月11日の東日本大震災は横浜中華街にも被害をもたらした。厨房にあるレンジなどが吹っ飛び、冷蔵庫が転倒した料理店もあった。それ以上に大きな影響は、中華街から大勢の中国人たちが姿を消したことだ。余震と原発事故の放射能を恐れた彼らが一斉に帰国したためである。震災後、休業を余儀なくされた中華料理店は十数件に上る。固く閉ざされたシャッターには、「地震の影響のため、暫くの間営業停止をします」と書かれた紙が貼り出されていた。それでも5月の大型連休前には、再び彼らが横浜中華街に戻ってきた。本稿の取材で筆者が横浜中華街を訪れた8月上旬ごろには、夕暮れ時になると、夏休みだということもあってか人通りも多く、今ではほとんど震災前の活気を取り戻しつつあるようだった。

 震災でいったん帰国していたのは、1978年に始まった中国の開放改革路線以降に移民した「新華僑」が経営する店で雇われている中国人たちだった。いま横浜中華街は、こうした新華僑が、150年前の横浜開港以来戦後まもなくに至るまで日本に移民した「老華僑」の数を上回る勢いで急増している。新華僑に押される形で、この3年間、老華僑が経営する老舗中華料理店が90軒以上も姿を消した。いまでは中華街の約3分の2が「新華僑」が経営する店となってしまった。この中華街で起きている変化について書いてみたい。

中華街を席巻する新華僑

 中華街を歩いてよく目にするのは、天津甘栗売りや安い食べ放題の中華料理店のメニューチラシを撒く中国人たちの姿である。今や中華街の新たな名物ともなったのが「中華料理の安い食べ放題」、「天津甘栗売り」、「開運易者」で、いずれも新華僑たちが手がけたものだ。

中華街でよく見かける甘栗売り。中には悪質なケースも

 中華街の甘栗売りは、路上で通行人の前に立ち塞がり、しつこく甘栗の試食を勧めた挙句に、それを買うよう強引に説き伏せることから、客とのトラブルも絶えない。「『サービス、サービス』といって、あたかも多めに栗を袋に詰めてあげるかのように見せる甘栗売りが多いが、なかには元から袋の半分しか入っていない古い栗の上に、少しだけ新しい栗を入れてあたかも新鮮であるかのように見せかけて売りつける悪質な栗売りもいる」と、中華街に移民して4代目の老華僑は苦々しげに新華僑の商売をみる。食べ放題の中華料理店では、どんな食材を使っているか分からないと指摘する老華僑もいる。見料1000円前後の「占い」にしても、客の恐怖心を煽って次から次へと占いオプションを勧め、結局5、6000円の見料を支払わなくてはならない悪質店も存在するのも事実だ。

消えてゆく老華僑の店

 では、老華僑の商売はどうか。取材のため、4代目の老華僑が経営していた古くからの喫茶店を訪ねようとしたが、店があるはずの場所に行ってもどうしても見当たらない。探し回ったあげく、聞けば店を閉じたのだという。新華僑の急増にあわせて、こうした老舗が次々に消えてしまっているのだ。

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「日本のなかの外国を歩く」

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