チャイナ・ウォッチャーの視点

2011年9月28日

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有本 香 (ありもと・かおり)

ジャーナリスト

企画会社経営。東京外国語大学卒業後、雑誌編集長を経て独立。近年とくに中国の民族問題の取材に注力している。『中国はチベットからパンダを盗んだ』(講談社)『なぜ、中国は「毒食」を作り続けるのか』(祥伝社)の他、近著に『中国の「日本買収」計画』(WAC BUNKO)がある。

 とかく隣国関係は難しいもの。隣国同士の仲が悪い、というのは世界の通り相場だといっていい。しからば、「最も多くの国と国境を接する国」とギネスブックにも記された中国は、隣国との難しい駆け引きに最も神経を遣っている国だともいえるのではないか。海を挟んだわが国との間でさえ火種が絶えないのだから、陸続きの、実に14にものぼる隣国との関係がそれぞれ一筋縄でいかないことは想像に難くない。そんななかから今回は、中国とネパールとの関係を取り上げてみたい。

 中国の陸続きの14の隣国のなかには、ロシアやインドといった大国が含まれ、これらとの関係は当然、重要度が高い。が、一方で、そうした大国をけん制する意図で進められることの多い、比較的小さな国々との関係が重要性を増す局面もしばしばある。ネパールとの関係もその一つだが、こうした小さな国々はつねに大国の利害に翻弄されてばかりかと思いきや、必ずしもそうとは言えない。むしろ小が大の腹を十二分に読んでしたたかに動く、という場面も見られる。日本に深く関係するところでは、北朝鮮の外交などその最たるものといえるだろう。

チベット難民の送還は免れたが……

 まず、近年の中国とネパールの関係の一端を物語ると思しき、最近の2つのニュースを紹介しよう。一つは、去る9月11日と13日、ネパール当局がチベットからの亡命者23人を拘束、中国政府からの圧力によってあわや中国側へ送還か、との事態に陥った出来事。もう一つは、同じ頃、現地メディアが報じた、ネパール南部の仏教の聖地ルンビニが、北京の投資集団の資本によって、「仏教テーマパーク」へと開発され、中国からの観光客で溢れかえるチャイナタウンに変貌するか、との情報である。

 それぞれの詳細は後で記すが、いずれのニュースも、昨今、周辺諸国に対し拡張的な野望を露わにする中国の姿と、ここ数年、ネパール政界の主流派となったマオイスト(毛沢東主義派)勢力との接近が背景にある、とのニュアンス含みで伝えられた。

 果たしてこれらのニュース、軍事・経済両面で強大化する一方の中国が、マオイストと結びつき、小国ネパールを呑み込もうとしている一端、との読み筋で正しいのだろうか?

 では、2つのニュースの詳細を見ることにしよう。

 まずは、チベット難民のニュースだが、従来、中国政府による圧政と弾圧を逃れ、決死のヒマラヤ超えを敢行しネパールにたどり着いたチベット人の難民は、ネパール当局の保護を得て、チベット亡命政府のあるインドへ移送されるのが通例であった。それは、ネパール政府とUNHCRの間の暗黙の了解に基づく計らいだった、と伝えた一文もあったが、一方、「長い歴史の中でさまざまな交流を続けてきた、ネパール人とチベット人との間の『紳士協定』による計らい」だという亡命チベット人の声もある。

 しかし、今回は事なきを得たものの、10日以上も難民が拘束されたことで、その紳士協定はなきものとなりつつある、とチベット人は顔を曇らせた。これは、1959年のダライ・ラマ14世の亡命に端を発し、チベットからの亡命者が恒常的にネパールに流入するようになって半世紀がたつ間に、中国が著しく力をつけ、周辺地域の勢力図が変化した結果にほかならない。

 実はこうした事態への危惧は、数年前から話題にされてきた。2008年と翌09年の2度、筆者が、チベット亡命政府のあるインドのダラム・サラを訪問した際には、亡命政府関係者も、「年々、中国がネパールへの圧力を強めている。いつ、亡命者がネパールから中国へ強制送還される事態となるか」と懸念を語っていた。北京五輪の開かれた08年頃からは、「国境付近のネパール領内の町に、中国の武装警察が堂々と入り込んでチベットからの難民を捜索している」との話も聞かれた。

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