迷走する日本の「働き方改革」への処方箋

2019年3月25日

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立花 聡 (たちばな・さとし)

エリス・コンサルティング代表・法学博士

1964年生まれ。早稲田大学理工学部卒。LIXIL(当時トステム)東京本社勤務を経て、英ロイター通信社に入社。1994年から6年間、ロイター中国・東アジア日系市場統括マネージャーとして、上海と香港に駐在。2000年ロイター退職後、エリス・コンサルティングを創設、代表兼首席コンサルタントを務め、現在に至る。法学博士、経営学修士(MBA)。早稲田大学トランスナショナルHRM研究所招聘研究員。

 
iStock / Getty Images Plus / Qvasimodo

 3月は転勤シーズン。顧客企業から異動の挨拶が殺到し、経営コンサルタントとして事務対応に忙殺されるシーズンでもある。昇格の栄転で意気軒昂たる人もいれば、行きたくもない転勤先を知らせる辞令に愕然とする人もいる。感情を露にすることを得意としない日本人でも、その書いたメールの行間を読めば、やはり言葉の端々に感情が滲み出るものだ。転勤はサラリーマンの宿命なのだろうか?

私は「転勤」でサラリーマンを辞めた

 私も転勤に苦い思い出をもつサラリーマンの1人だった。20年前、香港駐在中に日本への帰任辞令を受け取ったとき、ひどく落ち込んだ。海外の仕事が大好きだった。努力よりも結果、業績しか評価しない外国人上司は鬼のように厳しかったが、業績に追われる地獄のような日々に自分の価値を見出すことで無上の幸福を感じ、そして上司に感謝していた。

 帰任してみると、東京の職場は体育会系で厳然たるタテ社会の人間関係が存在し、数日も経たないうちに、「先輩を崇拝せよ」と冒頭に書かれた「職場の鬼の十カ条」たるメモを握らされた。仕事もやりたい仕事ではなかった。日々の出勤は苦痛でしかなかった。それがいずれ心の病につながるだろうと感じずにいられなかった。そのような状態で、自分も会社も満足できるパフォーマンスなど出せるはずもない。

 結局のところ、私の東京勤務は半年しかもたなかった。辞表を出して海外に舞い戻った私はついに天職と巡り合い、19年間経営コンサルタントの仕事を続けてきた。そういう意味では当時、「強制的」な転勤がなければ、私の人生はまったく違うものになっていただろう。

 最近、個人的な相談をよく受ける。脱サラして海外に飛び出して起業したいという若者の相談がほとんどだ。「日本国内の閉塞感が嫌で、海外で一旗挙げたい」というセリフに私は大体こう答える。「その閉塞感の中身とは何か、いま一度点検しよう」。というのは、閉塞感たるものにはある種の「守り」から来ている部分も含まれている可能性があるからだ。

「過保護」に起源する制度は時間の経過や外部要因の変化によって硬直化が生じ、それが進行して閉塞感につながる。そこで閉塞感を打開すべく、その制度から飛び出したところで、いままで受けてきた「保護」も同時に失われる。この副作用に耐え得るのか、自己耐性のチェックが必要になる。

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