WEDGE REPORT

2011年5月20日

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地震と津波で徹底的に破壊された被災地のインフラは、震災後1カ月で大きく機能回復した。迅速な復旧を支えた数多くの縁の下の力持ちたち。想定外の危機に対応した各社の現場力。利用者からの信頼を獲得するために一見ムダと思えるほどの労力やコストをかける日本企業の精神性にこそ未来を切り拓く力があるのではないだろうか。

 4月13日、宮城県気仙沼市の救援物資供給拠点となっている青果市場を訪れた。古びた巨大倉庫のなかは、水、米、子ども用おむつ、七輪……と細かく分類され、整理整頓が行き届いている。物資を運び入れる大きなトラックや、運び出すヤマト運輸の車両が頻繁に行き交うが、よく見ると入荷スペースと出荷スペースが明確に区切られ、動線が混乱することもない。

救援物資「ロジ」を組み立てる

 「初めは市役所でやっていたが、救援物資が溢れて3月15日にこの青果市場に移ってきた。それでも毎日14tトラックが10~20台やってくる。届いた物資をそのつど配る、場当たり的配送しかできなかった。自衛隊ががれきを撤去してくれた道路も混雑し、1日に何度も物資を届けられない。そんなとき、ヤマトさんが来てくれたんです」

 こう話す気仙沼市役所の物資担当、三浦稔氏の手には「4月13日避難所への配送計画等資料」があった。10台の配送車両が、どういうルートで避難所を回り、何人分の物資を渡してくるかが書かれている。末尾には倉庫内の配置図があり、何がいくつあるのか事細かに記載されている。「ヤマトのロジスティックスの専門家が倉庫内の配置を考え在庫管理ができるようになった。さらに、地理に明るいドライバーさんたちが効率的な配送ルートを考えてくれた。避難所のニーズに基づく適時適切な配送が可能になった」(三浦氏)。

 気仙沼市のヤマトの配送センターはいずれも大きく被災した。気仙沼南町センターとセンターが入る建屋も2階まで浸水。社員の安否確認や片づけが一段落した3月20日頃、「避難所で生活しているドライバーも多くて。物資が1日1、2回しか来ないが、取りまとめている市役所は明らかに大変そうだから、何か手伝えることがあるんじゃないかという話になった」(荒木修造・南町センター長)。21日に青果市場を訪れたヤマト部隊は、先述の仕組みを作って1日4回の配送を行った。

 三浦氏ら青果市場に派遣された約30名の市役所職員の本職は税務係。いずれ被害調査やり災証明の発行などの本業に戻らねばならないが、ヤマトが来るまで職員が送る物資やルートを決め、配送に同行までしていた。全国のヤマトから応援もやってきたため、3月28日頃には、ヤマトの地元ドライバーと応援ドライバーが二人一組で配送を担当。市役所職員は三浦氏ら2名を残して本業に戻った。その頃には、避難所周辺で半孤立した自宅避難者への物資配送が課題となっていたが、ヤマトのドライバーが避難所単位で自宅避難者の数やニーズを把握し、翌日その分の物資を多めに届けるという仕組みが整えられていった。

 4月に入ると、倉庫内の仕分け作業に大量の人員を提供してきた自衛隊の撤収にどう備えるかが課題となった。地元の失業者対策も考えたいという市の意向も受けて、ヤマトはグループの人材会社、ヤマトスタッフサプライを通じて地元住民を2カ月間雇用することを決めた。「津波の被害にあい、車以外で青果市場まで来られる人という条件で募集し、応募してきた人をほとんど採用した。男性66人と女性9人で、年齢は18歳から69歳まで。津波で仕事も収入も失った方が多い」(庄子誠・ヤマトスタッフサプライ東北支店長)。

 市との関係は取材当時は明確になっていなかったが、その後、救援物資配送全体について市とヤマトの間で業務委託契約が結ばれた。自衛隊は4月末で撤収し、現在、青果市場の運営は市の三浦氏が責任者となり、荒木センター長らヤマト社員が、ヤマトスタッフサプライに雇用された地元スタッフを統率する形がとられている。ヤマトの宅配便の集配も復旧し、地元ドライバーも本業に戻っている。

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