日本を味わう!駅弁風土記

2012年2月27日

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福岡健一 (ふくおか・けんいち)

ウェブサイト「駅弁資料館」館長

日本全国と海外の駅弁を紹介するウェブサイト「駅弁資料館」館長。2001年からこれを個人で運営、無予約非取材を原則に全国各地をめぐり、年間約400個の駅弁を食べる。「時刻表博士」でもある。

丹那トンネルの開通で幹線鉄道の灯が消えた御殿場で、
地域振興の一環で創られた弁当。
味はもちろん、見た目の端麗さは、姿寿司駅弁の最高峰と言えそうだ。

 第1回帝国議会の開催に間に合わせるよう、1889(明治22)年7月に新橋から神戸までが全通した東海道本線。その建設に際し、近江平野の天井川を横断するのに苦労した長浜から大津までの区間、全通後も数度に渡りルートを切り替えた関ヶ原越え、そして道の東海道が箱根を越える区間の3箇所が、難所として立ちはだかった。

 当時の鉄道技術や土木技術では箱根を越えられず、箱根の外輪山に挑まず北方を半周する経路で鉄道を敷いた。そのため、東海道の脇往還や富士登山の一玄関口という地位に甘んじていた御殿場に、国家最大の幹線交通路という絶大な資産が転がり込んだ。富士吉田や大月へ馬車鉄道が伸び、駅には多くの旅客と貨物と職員が集い、街は繁栄を手にした。

 ところが、土木技術の進歩は、伊豆が本州に衝突した丹那越えに16年もの歳月を要したが、約8kmもの鉄道トンネルを複線で掘り抜いてしまった。東海道本線は1934(昭和9)年12月に現在の熱海経由となり、それまでの国府津―御殿場―沼津の区間は「御殿場線」と名を変えて残存したものの、長距離列車や貨物列車は熱海経由のルートへ移行し、御殿場から鉄道の活気が熱海へと移った。

富士山の豊富な雪解け水を活用した鱒寿司

 鉄道職員は転勤すればよいが、地元の商人はそうはいかない。御殿場の駅前食堂では、幹線鉄道なき御殿場の将来に資するため、今で言う地域振興の一環として、地元でいくらでも湧く富士山の雪解け水を活用した鱒寿司を開発し売り出した。後に御殿場駅のキヨスクにも卸され、新宿駅へ小田急線経由で向かう異色の列車「あさぎり号」の車内でも販売され、今では駅弁としても御殿場名物だという認識を徐々に広めつつある、「鱒の姿ずし」である。

鱒の姿ずし 妙見 1200円

 小さくかわいらしい、虹鱒の姿寿司である。細長い容器で酢飯に魚を合わせ、板昆布を貼り、魚の絵画もまたかわいらしい包装紙で包んで、1200円(税込み)。駅では改札の外のコンビニエンスストア「ベルマート」のレジ脇で売られている。駅前の和食店「妙見」では、食事としても食べられる。

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