WEDGE REPORT

2012年3月8日

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井原 裕 (いはら・ひろし)

獨協医科大学越谷病院こころの診療科教授。1962年生まれ。東北大学医学部、自治医科大学大学院を経て、ケンブリッジ大学大学院修了。順天堂大学准教授を経て、現職。著書に『激励禁忌神話の終焉』(日本評論社)などがある。

悲しみに打ちひしがれる被災者には「こころのケア」が必要だ─。
「そんなこと当たり前だ」と、感じる読者は少なくないだろう。
だが、うつ病治療に関して薬物療法とともに生活習慣改善を説く
新進精神科医の筆者は、その考えに警鐘を鳴らす。

 2011年3月11日の震災直後から、「こころのケア」を強調する報道があふれた。テレビも新聞も一斉に被災者たちの悲劇をとりあげ、「こころのケアが必要」と説いた。マスコミ報道に背中を押されるように、精神保健関係者は、こぞって「ケアチーム」を結成し、現地に派遣した。こうして被災地の避難所は、ボランティアたちであふれた。

 次から次へとやって来ては去っていくボランティアたちは、被災地に何をもたらしたのか。11年6月22日の読売新聞は、ある避難所の例を紹介している。被災者たちは、「こころのケアチーム」の質問に辟易。ついに「『こころのケアチーム』お断り」を宣告。避難所の責任者は、新たに訪れたボランティアたちに釘を刺すことになった。「避難所では『こころのケア』と名乗らないでほしい」、そう言われてボランティアたちは当惑し、「何かご迷惑でも」と問い返したかもしれない。

 ボランティアたちにとっては、ショックだったであろう。すべての避難所で同様の事例があったわけではないであろうが、さめた目で状況を考えれば、事態は理解できる。

 「こころのケア」という言葉で第一にイメージすることは「悩みを聴くこと」だが、ここにこそ誤解の淵源がある。ボランティアたちは、被災者にとっては、突然やってきて一瞬で去っていく異邦人のような存在である。異邦人が被災者のこころの傷にふれれば、かえって傷を深くしてしまうこともある。「こんな人たちにこころのなかを打ち明けて、何の意味があるのか」、そのように被災者が思うとしても、無理もない。心理援助の文脈で使われる「よりそう」との言葉も、被災地ではいささか失当である。悲しみに打ちひしがれたとき、人は親しい人に「よりそってほしい」と思うことはあるけれど、突然現れた赤の他人に「よりそってほしい」とは思わないであろう。

被災者に必要なのは健康的な日常生活

 被災地に精神保健のニーズがあることは否定しない。しかし、「こころのケア」より急ぐべき課題があることを忘れてはならない。

 震災から1年が経とうとしている今、多くの被災者は避難先ないし仮設住宅で生活をしている。そこで「心身の健康の専門家」が第一に目を向けるべきは、被災者の心理ではなく、むしろ、暮らしぶりである。被災後の生活習慣は、一般に、かなり乱れている。睡眠、食事、運動など、実態を伺えば、その不健康さに愕然とさせられることも多い。避難所の集団生活から、仮設住宅の独居生活に移れば、他者の眼という抑止力が失われる。アルコール依存のリスクも当然高くなろう。

 筆者は昨年6月、埼玉県加須市の避難所に医療支援に出かけた。多くの被災者と面談し、その結果気づいたことは、運動不足の深刻さである。被災者たちは、本来、農繁期でなすべき仕事の多い時期に、避難所で単調な生活を強いられていた。日中の活動不足ゆえ、夜の安らかな眠りに必要な適度の疲労感が得られず、浅い眠りが続く。翌日になっても、昼間にすることがなく、前夜の熟睡感のなさから、つい、うとうととまどろんでしまい、その結果、ますます、夜は眠れなくなる。本来のように日中活動し、夜眠るといったリズムがなくなり、日中はうとうと、夜は眠れず、といったメリハリのない悪循環な生活に陥っていたのである。

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