チャイナ・ウォッチャーの視点

2012年5月9日

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 薄熙来失脚事件が世界の耳目を集めつづけている。薄熙来は毛沢東と同じ革命世代の重鎮・薄一波の息子にして、中国有数の大都市・重慶で治績をあげ、最高指導部入りもささやかれた次世代のリーダー。そんな人物の転落だから、それだけですでに十分劇的だった。

事件の整理は大方ついたが…

 しかも、そればかりではない。事件の発生が中国の政権交代の時期にあたっていること、妻で弁護士の谷開来も、イギリス人殺害の容疑に問われていること、などが相まって、追及は執拗をきわめ、なおその帰趨は見えてこない。耳目を聳動させるゆえんである。

 もっとも、先行きの見えない部分を除くと、さすがにこれだけの大事件。内外の優秀なジャーナリスト・研究者が、刻々リアルタイムで多角的な分析をこころみ、すでに論点は出揃ってきた。

 最たるものは、その本質が路線・権力闘争であること、脚光を浴びた重慶における薄熙来の政治手法が、中央にうとまれたことがあげられようか。その手法とは、たとえば有名な「唱紅打黒」であり、これが中国共産党の指導部に危機感をいだかせるに至った、というわけである。

毛沢東路線VS鄧小平路線

 もはや解説の必要もないだろうが、「打黒」は「黒社会」つまり暴力団を摘発撲滅するキャンペーン、「唱紅」は大衆に「紅歌」つまり毛沢東時代の革命歌を高唱させる運動である。暴力団と結託していたのは当局官僚であり、毛沢東は文化大革命時代、悪しき資本主義に走った要路者を打倒したから、重慶の民衆はこれを大々的な汚職腐敗一掃の施策とみて、熱烈な支持を与えた。いやむしろ、薄熙来が大衆・輿論に迎合して、これを動員した、というほうが正しい。

 現在の共産党指導部は、それを容認できなかった。かれらは毛沢東と対立した鄧小平の系譜をくみ、文化大革命の否定からはじまった改革開放を国是とするからである。さる3月14日、全国人民代表大会(全人代)の閉幕後、温家宝首相が3時間にわたって応じた記者会見は、その象徴といえよう。誤れる文化大革命の影響の残存を指摘し、その「歴史的悲劇」の再現をつよく警告した翌日、果たして薄熙来が共産党委員会書記を解任されたのである。

歴史的に中国がたどってきた「右か左か」という命題

 というわけで、大方は事態を次のように整理している。薄熙来を旗手とする左派と温家宝を代表とする右派との対立、あるいは、毛沢東路線への回帰と鄧小平路線の推進とのいずれを選択するのか、という構図であり、ひとまず後者が前者をおさえこんだ、という現状である。

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