最大の「子どもの家」は西成区の日雇い労働者の町、釜ヶ崎にある「こどもの里」である。通りを隔てたところに1961年の第1次暴動以来、過去何回も暴動の舞台になった西成警察署がある。50メートルほど歩けば、多くの野宿者たちが集まる「三角公園」がある。ここでは毎週のように炊き出しが行われ、数百人が列をつくる。
薬物依存の母親から逃れて
「こどもの里」には100人ほどの子どもが登録しているが、その内訳は、留守家庭が40~50%。生活保護世帯が30%超、大半は重なるが、ひとり親家庭の子どもも50%を超える。毎日30人ほどの子どもがやってくるが、ほぼ3年生以下の小学生に限定されている学童保育と違って、0歳から18歳までの子どもや若者が利用している。中には1歳から来ているという30歳になった若者もいる。
薬物に依存する母親を持つ女子高生が、「また母親が薬を飲んだ」と「こどもの里」に夜、走ってきた。親の暴力から逃れてくる子も駆け込む。館長の荘保共子さんは24時間体制でそんな子どもたちを迎える。この地域で子どもたちの支援を始めて40年がたった。
ある女子高校生は、「私が泣ける場所はここだけ。ここで私は守られているから」。気持ちが沈むと「こどもの里」に行って充電していくと言う。そんな子どもたちを支えてくれる場だ。
子どもの身元引受人にもなった施設長
「山王こどもセンター」
同じ西成区には1916年(大正5年)につくられた飛田「遊郭」(今は飛田新地料理組合と称するが。橋下市長はこの組合の顧問弁護士だった)がある。その同じ町内に「山王こどもセンター」もある。山王は釜ヶ崎に隣接した地域である。「山王こどもセンタ-」も「大阪市子どもの家事業」の指定を受けている。施設長の前島麻美さんは大学を出て、それから30年、ここで、300人を超える子どもや親たちとかかわってきた。
「山王こどもセンター」もひとり親世帯の子どもが5割を占める。様々な困難を抱えた子どもたちがこのセンターに通ってきた。
父子家庭で小学校2年生から自分で食事をつくってきた子がいる。その後、窃盗などで自立支援施設に入ったが、身元引受人は前島さんだった。
「家ではできないこと、たとえばセンターはみんなで食卓を囲んで食事ができる」
精神疾患の母親を持つ子どもは小学校1年生の時からセンターに通い、ここで包丁の持ち方を学んだ。