2024年4月26日(金)

佐藤忠男の映画人国記

2013年8月21日

 鳥取県から男優では沢田研二が出ている。現在は鳥取市の岩美郡津ノ井村の生まれである。ただし生後まもなく京都に移り、高校在学中からバンドの活動をはじめてザ・タイガースのボーカルの“ジュリー”の愛称で紅顔の美少年として爆発的な人気を得た。

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映画でも「魔界転生」(1981年)の天草四郎とか「夢二」(1991年)の竹久夢二など、美男ならではの役で引っ張り凧だったが、中年になってからは気取り抜きのリアリズムの演技にも上手さを見せるいい俳優になった。代表的な例としては「大阪物語」(1999年)の売れない漫才師をあげたい。人気者が人気のない芸人をやる余裕がにくい。「幸福のスイッチ」(2006年)で頑固者の父親を巧みに演じて日本映画評論家大賞の主演男優賞を得ている。

 小野ヤスシ(1940〜2012年)は西伯郡境港町(現境港市)出身。喜劇の上手い二枚目である。

 女優では乙羽信子(1924〜94年)が現在は米子市になっている西伯郡米子町出身。ただし幼い頃から大阪や神戸で育っている。戦中戦後に宝塚少女歌劇団でスターになり、映画に移籍して“100万ドルのえくぼ”という宣伝文句で華々しく売り出された。しかしメロドラマにあきたりず、新藤兼人監督の独立プロに移って「原爆の子」(1952年)や「裸の島」(1960年)などの社会派リアリズム映画で奮闘し、大成した。

 これに対し、終始あくまでもきれいな役で大成したのが現在の境港市渡町の名家の出身の司葉子。「紀ノ川」(1966年)「秋日和」(1960年)「小早川家の秋」(1961年)など、上品な役がいい。とくに晩年の小津安二郎監督作品では、ほんとうにきれいだった。娘役の時期が終わってからは映画には出てないようだが、女優は続けてほしい人である。こういうおっとりとした美人は得難い。


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