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2013年10月2日

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八尋俊英 (やひろ・としひで)

日立コンサルティング取締役

1965年生まれ。日立コンサルティング取締役。IT分野の投資銀行業務を学んだ長銀を最初に、ソニーを経て中途採用第1期生として2005年経済産業省入省、情報処理振興課長、官房参事官を経て退職。直近2年はシャープにて新ビジネスに取り組み、クラウド技術開発本部長、2012年11月退職。2013年1月より現職。4月より東大生産技術研究所協力研究員。一貫して新しい部署・新設ポストで新開拓を続ける。

 8月は原爆投下、終戦記念日と年中行事のように報道が続く季節だ。しかし、つい今という時代とのつながりについて深くは考えなくなる。父方の祖父は、8月9日長崎の原爆投下後、門司の海運局から現地調査に赴き、その後癌となり死亡する。母方の祖父はB29による大空襲の際、逃げ遅れた社員を防空壕に誘導、最後の社員を見届けた直後自身は逃げ遅れて亡くなった。亡くなった母は当時小学校2年生で、大きなトラウマを抱えて育つこととなる。

 TPP加盟交渉をしている日本と、戦前戦後の日本が重なって見える年配の方も多いのではないか。例えば、経済ブロック化が進む中で、政策判断を迫られている今日は、戦前においては急成長した日本のパワーにABCD包囲網が待ったをかけた点と重なる。

1945年9月2日、米戦艦ミズーリで降伏文書に調印する重光葵外務大臣(手前左)、梅津美治郎参謀総長(手前右)。(AP/アフロ)

 太平洋戦争前、急成長を遂げた日本はアジアを植民地としてきた欧米列強に対して新しい秩序を要求するが、交渉は失敗に終わる。その後の戦局を有利に進めて交渉を同時に行う解決策は指導者層の共通目標とはならなくなっていき泥沼化した。

 インドネシア・スラバヤでTPP交渉参加の閣僚会合が行われた。ここは、70年前ABCD包囲網のなか、資源をめぐってオランダと交渉を行い、決裂した街でもある。日本が戦争に入らざるを得なくなった節目の1つでもあった。

 勢力争いの結果、意思決定が遅れるのは、TPPだけではない。TPP交渉参加が報道されて以来かなりの時間が経つにもかかわらず、今回100人の交渉官が正式交渉を開始した時期は、ぎりぎりの段階であったことが改めて報道を通じて感じさせられる。太平洋戦争終了に向けた日本の政局の判断の遅さ、各種勢力争いのなかで時間がかかった様は、玉音放送阻止に動いた陸軍の一部暴走をはじめ『日本のいちばん長い日』(文春文庫・半藤一利著)に詳しい。 

 終戦後のGHQ占領下、初代国鉄総裁が謎の死を遂げた下山事件。捜査が打ち切りとなり、不自然に関係者も消えていく。この1949年から米国が安定化を急いだ労働組合問題は決着、急速に経済成長へ向かう変曲点となった。

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