佐藤忠男の映画人国記

2013年10月17日

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 滋賀県からはすぐれた監督たちが出ている。吉村公三郎(1911-2000年)は父親の転勤などで少年時代を京都、東京、大垣などを転々としているが、出身は坂田郡柏原村(現米原市)である。ラブシーンが検閲でどんどん作り難くなっていった戦争中に作られた最後の恋愛映画の傑作「暖流」(1939年)で名をあげ、戦後も「安城家の舞踏会」(1947年)その他、ロマンチックな女性映画では先頭を切っていたものだ。

 日活ロマンポルノで主力の監督のひとりとして大活躍した西村昭五郎はこの吉村監督のいとこにあたる。吉村監督の紹介で日活の助監督になり、1963年に監督になったが、しばらくはパッとしなかった。それが1971年に日活がロマンポルノに転じてから、水を得た魚のように生き生きとした作品を連発するようになった。「団地妻」シリーズが有名である。

 1960年代の東映時代劇映画の全盛期に、美空ひばりなどを上手く使ってチャンバラ映画の軽快なミュージカル化というようなエンターテインメントの新手をつぎつぎに出して有名になった沢島忠監督は愛知(えち)郡東押立村(現東近江市)の出身である。おなじ頃に東宝で「俺たちの荒野」(1969年)などの青春映画で新しさを出した出目(でめ)昌伸監督は八日市町(現東近江市)の出身だ。

 俳優では日本で最初に作られた劇映画「ピストル強盗清水定吉」の主演俳優横山運平(1881-1967年)が犬上郡彦根町(現彦根市)の出身である。ただし1899年のこの映画はほんの数分で、ピストル強盗が警官たちに逮捕される一場面だけのものだった。それでも最初は最初で記録として大きく後世に残る。彼は新派劇出身で、その後も長く1960年代まで脇役として時代劇の善良な農民とか侍の下男といった役どころで出演していた。朴訥な情味のある役者だった。

 そして大正時代に活躍した沢田正二郎(1892-1929年)が現在の大津市。新国劇の創始者で映画にも出たが、歌舞伎と違う激しい迫真的な立ち回りをつくり出した大スターである。国定忠治が「赤城の山も今宵かぎり……」と刀をかざす有名な形は芝居でも映画でも繰り返され、コマーシャルでパロディにまでされた。

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