薄への政治上の処分は、2012年9月の中央政治局会議で中央政治局委員と中央委員の職務が停止され、党籍はく奪されたことですでに決していた。また裁判における罪状についても、同会議における中央規律検査委員会の報告ですでに示されていた。それは薄に対する政治上の処分も司法上の処分も、胡政権下で江と胡のあいだですでに決していたことを意味する。つまり党内で合意ができていたということだ。
そのため、習にとって裁判は「後始末」にすぎなかった。しかし「後始末」であるがゆえに、習はこの裁判を自らの権力基盤を強化するために、利用しない手はなかった。法治主義、反腐敗を全面的に押し出すことで、共産党や政府幹部に不満を持つ多くの人々の支持を得ようとした。薄が裁判で起訴内容を否定したことも『人民日報』は「薄煕来と弁護人は薄煕来が収賄と横領、職権濫用の罪に該当しないとの弁解と弁護意見を提出した」と報じたが、それも裁判の公正さをアピールするだけで、習にとって何の損にもならないという読みがあってのことだった。
共産党の危機を包み隠す
しかし、党がすでに結論を出していたこの裁判が、法に基づく公正な裁判だったと思う人はほとんどいない。また汚職が原因ではなく、権力闘争に敗れたため、薄が失脚したことをほとんどの人は分かっている。そのため、薄の裁判を通じて法治主義や反腐敗をアピールすることは、習にとって多くの人々の支持を得るための方法としては必ずしもうまいやり方ではない。
それでも、習政権が一貫して法治主義と反腐敗を強調するのは、共産党の一党支配の危機を覆い隠すためでもあるだろう。薄が仕掛けた権力闘争が、「江 vs. 胡」の対立構図の一部分だったとすれば、薄は江に守られ、失脚を免れたはずである。しかし、失脚に追い込まれたことは、薄が共産党の一党支配を揺るがす存在だったからに他ならない。それは理念的なことではなく、「人事の既得権益」とも言える2007年の第17回党大会で確定した5年後の「習近平=李克強」体制という既定路線を崩そうとしたものといえる。薄の「野心」、すなわち習近平が兼務する国家主席や李克強が兼務する国務院総理といった重要なポストを当時狙っていたとする憶測にはかなりの説得力がある。それは江も胡も受け入れられないものだった。
無期懲役、政治権利の終身はく奪としたことで、薄の政治家生命を断ち切り、現代的意味での共産党の一党支配を守ること、為政者の既得権益を守ることがこの裁判の本質であった。しかしそのような本質は、法治主義と反腐敗で覆い隠さなければならなかった。
共産党は薄がもたらした危機に一区切りつけたと思う。しかし、それは2017年の第19回党大会に向けたまだ見ぬ新しい権力闘争の始まりに過ぎないのである。
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