2024年4月24日(水)

東大教授 浜野保樹が語るメディアの革命

2009年5月19日

日本映画海外進出の先駆け 『白蛇伝』

 東宝の草創期から映画製作の指揮をとっていた森岩雄(1899-1979)は、自伝『私の藝界遍歴』(青蛙房) に次のように記している。

  「そのころ(1950年代後半)日本内地に於いて洋画の人気も上昇し、ドルのない日本からアメリカへ毎年2,000 万ドル~3,000万ドルの金が流れていった。日本は輸出をしなければ食べて行けない国だから、映画界も大いに奮発をしなければならない。政府も輸出奨励におおわらわとなり、大がかりな制度を設け、映画もその一単位にされた」239頁。

  映画輸出に熱心になった通商産業省は2冊の『映画産業白書』を残している。昭和33年版には、「輸出適格映画」として「漫画映画」をあげ、昭和37年版には、「輸出を意識した作品」の例として、「言語風俗等にまったく関係なく、特殊な技術をいかした空想科学ものまたは動画」があるとしている。

  アニメ制作会社東映動画(現・東映アニメーション)は、まさにそのまっただ中の1956年に設立された。「東洋のディズニー」を標榜する東映動画は、映画人が輸出に最も熱心に取り組んだ時代の意気込みを体現したような会社だった。映画輸出を設立当初から目的としており、第一回長編映画『白蛇伝』の予告編に、社長の大川博(1896-1971)が登場して次のように挨拶をする。

  「皆さま、日本で初めての総天然色長編漫画映画(カラー映画) が、わが東映の手によって完成いたしました。この漫画映画は『白蛇伝』といいまして、中国の有名な昔話を題材としたのであります。皆さまご承知のごとく漫画映画は、一般の映画と比較しても、多分に国際性を持っております。そこで私どもは立派な漫画映画を作り、世界に広く進出したいと考え、昨年(1957年)の1月わが東京撮影所の中に、日本ではもちろん、世界でも珍しい最新式のスタジオを作りました。(以下略)」

  大川の挨拶にあるように、中国伝説をもとに第1回作品を作ったのも海外市場を考慮してのことだった。もくろみ通り、海外の映画祭で数々の受賞に輝き、社史によると、9万5000ドルの外貨を獲得したという。その後も手間隙かけて作られた劇場用アニメーションは海外で高い評価を獲得していたが、製作費がかさむ劇場用映画からビジネスの主軸を移さざるを得なくなる事件が起こる。1963年に開始されたわが国初のTVアニメーション・シリーズ『鉄腕アトム』のヒットと、海外販売の成功である。


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