山師の手帳~“いちびり”が日本を救う~

2014年6月17日

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 西村卓君と私は高校と大学が同窓である。2人は共通点が多いが卒業以来、別々の道を選び35年程は会っていなかった。彼は会社を早期退職した後、中国で日本語教師をしながら、自由気ままな1人旅を楽しんでいた。5年ほど前に高校の同窓が集まって読書会(西堀会)を始めた時に、山好きや探検好きの連中が集まった。その頃、彼は中国から戻ってきて若い時期に「やり残した」バックパッキングにハマっていた。

 私は大学卒業後に思うところがあって2年あまりヒッピーまがいのバックパッカーになったが、彼はまわり道をせずに製薬業界に就職した。彼が堂々たる社会人になったのを見て羨ましい気がしたが、彼も私が好き放題に自由なバガボンドになったのが羨ましくて、今になって青春時代を取り戻しているのだと言って笑っていた。

 さて、読書会で旅の醍醐味は放浪だと2人の意見が一致して、いつか一緒に旅に行こうということになった。その機会は思ったより早く到来した。彼の次の放浪の旅先はミャンマーであった。ミャンマーといえば、私はレアメタル鉱山の開発で定期的に訪問していたので好都合であった。出張のついでに現地で合流することにあいなった。合流地点はミャンマーの古都であるパガンにした。パガンを選んだ理由は私の姉が今年1月に亡くなったために、ここでささやかな法要をしたいと思ったからだ。

 パガンとはカンボジアのアンコールワット、インドネシアのボロブドゥールに並ぶ世界三大仏跡である。彼は中国の雲南省経由でシャン州に行き古都パガンにはひと足先に入っていた。私はシンガポールで一仕事を終えてからパガンを目指した。

 パガンに着いてからは、タクシーは使わず電動バイクで全てのパゴダに行くことにした。長い間、お互い別の道を歩んできたが、毎日学生時代に戻って徹夜であらゆる議論を続けるとお互いの距離感が更に近づいた気になった。

ミャンマー・パガンでの筆者(左)と西村氏(右)

 徹夜の議論の論点は世代論であった。彼は米系製薬業界の再編のなかで合併に次ぐ合併を経験した。自分より若い連中は親会社の出身だというだけで幅を利かせ、リストラ候補の団塊世代を疎ましく思っているようだった。西村君はMR(医薬情報担当者)の仕事をしていたが、金儲け主義に走る親会社の方針には疑問を感じていたようだ。

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