ペコペコ・サラリーマン哲学

2009年6月1日

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 以前、ある大手企業の若手社員の方々に向けてお話をしたとき、このような質問を受けました。「カネコさんは、自分のキャリアプランをどう設計しましたか?」

 私は即座にこう答えました。「キャリアプランは考えたことありません! ずっと“出たとこ勝負”です」

 みんな、狐につままれたような顔になりましたが、ほんの一瞬してから、どっと笑い声が起きました。

同期で一人寂しく出向し、しかも仕事がない・・・

 私は2年浪人してやっとビリで学校に入り、さらにやっとこ卒業して、24才で信越化学工業に入社しました。そのとき、「課長には必ずなりたい。できれば社長にだってなりたい」と思いました。

 でも現実は厳しいものです。まず工場の経理課に配属され、1年ほどたつと、本社の物流(デリバリー)担当の事務に異動しました。ここまでは同期入社のみんなと同じだったのですが、半年ほどたって突如、出向命令が出されました。

 しかも行き先は、まだこの世に存在せず、名前すら決まっていない、資本金1000万円(信越化学が900万円、信越化学の関連会社である信越ポリマーが100万円出資)の建設会社だったのです。

 部長、課長、係長、主任、そして私と若手の男女の社員、合計7人が出向となり、信越ポリマーが入っているビルの5Fに引越ししました。社長は信越化学の製品の販売先である全農(当時の全国購買農業協同組合連合会<当時>=現在の“全農”)から部長級の方を迎えました。

 社名は行く直前に「信越協同建設」と決まりましたが、仕事が全くありません。7人顔を合わせて「何を売るか」を相談しました。

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