屋久島の森を守った伝説の木こり

愛林社長 高田久夫


安斉辰哉(あんざい・たつや)
月刊「WEDGE」元編集長。

トップランナー

人間の可能性を追求して、一度きりしかない人生を、精一杯切り拓こうとしている人々へのインタビュー。真の“トップランナー”が語る珠玉の言葉に込められた、その逞しい“人間力”に触れれば、あなたもきっと、やる気がみなぎるはず。

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「自分がいる間さえよければいい、なんていうのはダメです。わしは島の木を伐ることで生きてこられました。だから、木を伐るだけじゃなくて森を守ることが、自分が島にお返しすることで、わしの義務です。それが、きれいな仕事だと思います」

 自分が我慢してでも後の人のことを考えられるのは、究極を言えば、自分の子どもとか孫とか、直接的に愛情を注げる人に対するときだけかもしれない。仕事や社会のこととなると、その意識はだんだん希薄になり、自分がいる間さえよければ―という思いが頭をもたげてくる。そんな人が多いのではないか。

高田久夫(たかだ・ひさお)1934年生まれ。
17歳で山仕事を始め、卓越した技術力や判断力で、木こりとして屋久島で伝説的な存在。95年に土埋木の伐り出しをする会社「愛林」を創業し、現在、同社社長。 (撮影・田渕睦深)

 屋久島の木こりの高田久夫は、『この木は高田にしか伐れない』と言われるほどの技術力や判断力を持つ、伝説的存在だ。しかし彼を伝説たらしめているのは、ヤクスギをどんどん伐るのが当たり前の時代から一貫して、島民の暮らしとともに森を守ることを考え、行動してきたからでもある。高田は、自分の代だけが豊かになるのではいけないと思ってきた。

 屋久島に自生するヤクスギは建材や工芸材として高く評価され、島は昔から乱伐の対象となってきた。樹齢2000年と言われる縄文杉など、災禍をくぐり抜けた木は今も残るが、江戸時代には島の木の7割が伐られたという。それから約300年を経た戦後の復興期に、全島のほとんどを占める国有林の皆伐が行われた。

 「生産目標を立てた役所は、とにかく早く伐って量を稼げと。ノコ(鋸)の時代に伐れなかった(次代の種子をつくる)母樹も、昭和30年過ぎにチェーンソーが入ってからはおもしろいように伐られました。木こりたちは皆、こんなことをしていいのかと負い目を感じていましたが、文句を言えば即クビでしたから」

 木こりたちは、伐らなければ生きていけなかった。林業を主産業とする島全体がそうであり、もっと言えば日本中が同じ感覚だった。

 加えて木こりの給与は歩合制だったので、そのことも乱伐に拍車をかけた。しかし高田は、こんな伐り方をしていいのかという疑問を強くし、行動に移していく。

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