高松の名勝・屋島と五剣山を借景にたたずむイサム・ノグチ庭園美術館。
その地は“国際的”という運命を背負わざるをえなかった、
20世紀を代表する偉大な芸術家が晩年に見つけた、愛すべき日本でした。
イサム・ノグチ庭園美術館は、四国にある。四国の香川県の牟礼、五剣山と屋島の間に位置する。屋島といえば『源平盛衰記』、あの那須与一が船上の扇を一矢で射落とした。当時の屋島は本当に島で、この辺りは海だった。でもその後は人間の生活が広がり、陸地になっている。
イサム・ノグチは石を求めてこの地に来た。那須与一とは関係ない。ここは石の産地として有名で、日本人なら墓を建てるときに、四国の庵治石(あじいし)という名を聞いたかもしれない。お墓以外では、日本で使われる石はもっぱらお城の石垣だ。あと個人では、余裕ある人が庭を造るときの庭石くらいで、日本での石はあまり生活にくい込んでこない。生活に接するのはもっぱら木材の国なのだ。
イサム・ノグチは国際人である。その活躍が国際的、というより前に、国と国の間に生れた人だ。父は英文学者で詩人の野口米次郎、母はアメリカの作家レオニー・ギルモア。ロサンゼルスで生れて、2歳からの幼少年期を日本で過す。以後はアメリカやヨーロッパなど各地を仕事場とする。はじめから国際的、という運命を背負って生れた人だ。
イサム・ノグチは「黒い太陽」というシアトルに置く大作を、日本で作っていた。四国の庵治の海岸。まだそのころ、ここに家はなくて、ホテル住いだった。そのころからイサム・ノグチの石の仕事をサポートすることになったのが和泉正敏さんだ。和泉さんは代々石の仕事をしているこの土地の人だ。「黒い太陽」のときからイサム・ノグチの制作を支え、それが最後までつづいた。いまはこの財団の理事長をしている。今回は和泉さんにご案内いただいた。