WEDGE REPORT

2015年1月17日

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勝村久司 (かつむら・ひさし)

高等学校地学教諭、元厚生労働省医療安全対策検討WG委員

1961年生まれ。京都教育大学理学科卒業。高等学校地学教諭。1990年、陣痛促進剤による被害で長女を失い、医療事故や薬害などの市民運動に取り組む。厚生労働省の中央社会保険医療協議会や日本医療機能評価機構の産科医療補償制度再発防止委員会などの委員を歴任。2015年8月より群馬大学附属病院で腹腔鏡等で死亡事故が相次いだ事件の医療事故調査委員に就任。著書に『ぼくの星の王子さまへ』(幻冬舎文庫)、共著書に『どうなる!どうする?医療事故調査制度』(さいろ社)など。

Koichi Kamoshida/Hulton Archive/Getty Images

 阪神・淡路大震災から20年の今年2015年は、地震予知計画開始から半世紀の節目でもある。

「できもしない地震予知」

 「日本の地震予知計画は1965年から始まった。これまでの予算は1000億円を超えた。現在約500人のスタッフがいる」しかし、「成果はなかった」。にもかかわらず、「予知推進派は、予算獲得の方便として利用し、特定の研究者による談合で研究費を配分し、従来通りの研究を続けようとしている」「できもしない地震予知に取り組むよりも基礎研究と防災対策を充実させた方がよい」「国民に非現実的な期待を抱かせるのは許されない」。

 以上は、阪神・淡路大震災が起こる約3ヶ月前の1994年10月23日付け毎日新聞の1ページ分を使った「日曜論争」という大きな記事で、当時、東京大学理学部助教授だったロバート・ゲラ-氏が主張していた内容の抜粋だ。

 この記事は、1994年10月4日に、釧路市などを中心に大きな被害をもたらした北海道東方沖地震を受けたものだった。この論争のもう一方の、地震予知研究の推進側の研究者は、「まずは、最も喫緊の課題である東海地震の予知に取り組むことが重要」という旨の主張を展開し譲らなかった。

 そして、その翌年の1月17日に、震度7を記録した兵庫県南部地震が起こったのである。

 その後も2004年の新潟県中越地震、2011年の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)、と震度7の地震は続き、大きな被害が繰り返されている。

 阪神・淡路大震災によって、地震予知計画の意味が疑問視され、見直しを迫られた政府は、「地震予知のための新たな観測研究計画」と名称を変えて、さらに予算を増やしてきた。

 そして、現在では、文部科学大臣のもとに「地震調査研究推進本部」を設置し、「予知」ではなく「予測」という言葉を多用し、短期の「予知」ではなく、中長期の「30年以内に震度6弱以上の地震が起こる確率が何%」という「全国地震動予測地図」を毎年公開している。そして、その都度、その確率の数値をマスメディアが大きく取り上げ続けている。

 防災や減災に役立つことに多くの予算をつぎ込むのはよいだろう。しかし、このような予測地図の公表の繰り返しが、本当に防災・減災に役立ち、国民の命を救うことにつながるのだろうか?

地震予知への期待が防災教育を歪ませる

 兵庫県南部地震による阪神・淡路大震災から20年。当時、私が勤務していた大阪府内の高等学校でも、時計は5時46分頃で止まり、校舎の壁の外壁が剥がれ、廊下も校舎のつなぎ目で大きな段差ができた。

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