2024年4月18日(木)

今月の旅指南

2009年8月12日

 この絵はガマガエルに食べられそうになったオサムシを描いたものなのですが、描いているうちにどうしてもそのオサムシを助けてあげたくなったのです。私はとっさに、ガマガエルの視線をそらすために、一匹のミツバチを描き入れました。「私は虫であり、虫は私である」と悟った瞬間でした。以来、自然は自分の ためにあり、自分は自然のためにあるということをつくづく実感し、この世界を絵で描き続けていこうと思えるようになったのです。

――虫や花の絵を描かれるとき、熊田さんが一番大切にされていることは?

熊田:対話です。「虫は私であり、私は虫である」「花は私であり、私は花である」という関係。私は虫や花の姿を借りて、自分を描いているのです。

ファーブルを気取る熊田千佳慕さん       *写真の無断転載を禁じます

――フランスの「ファーブル友の会」会長から「プチ・ファーブル」と称賛されたそうですね。「プチ・ファーブル」と呼ばれることをどのように感じられていますか?

熊田:大変光栄に思っております。ファーブル先生は小さなころから尊敬し、憧れていた方ですから。

――「ボクはいつも、神さまと対話をしながら、花や虫の絵を描いています」と著書に書かれていますが、どんな話をされるのですか? 神さまは答えてくださるのでしょうか?

熊田:色や描き方で迷ったとき、無心で向き合うと、必ず神さまが答えを教えて下さいます。ですから、出来上がった絵は“自分で描いた”というよりも“描かせて頂いた”ものだと思っています。

――小さいころは体が弱かったと聞いておりますが、熊田さんの長生きの秘訣は、その尽きない好奇心やときめきなのではないかと思います。その“ときめき”は、年齢を重ねるにつれて、どのように変化してきたのでしょうか?

熊田:今月、私は98歳となりました。人生の秋深いところに住んでいますが、心の中には、いつも春風が吹いています。このギャップをうまく中和しながら生きていくことが、この年代の過ごし方であると知りました。自分の体が思うように動かず、イライラすることもあります。そんな時でも、美しいものに出会うと気持ちは今でもドキドキします。もしかしたら、年齢を重ねるほどに、この“ときめく心”は大切なものだといえるかもしれませんね。

――最後に、これを読んでくださった方々へメッセージをお願いします。

熊田:虫や花たちは今日を悔やんだり、明日を思い悩んだりせず、今この瞬間だけを懸命に生きています。その生涯を精一杯まっとうしようと、最後まで命を燃やし続けるのです。そのことに気がついたら、花や葉が枯れ落ちて土に還っていく姿まで美しいと感じるようになりました。自然は自らの美しさを知らないから美しく、奥ゆかしい。その美しいという感覚は、愛がなければ持つことができません。

 人間も虫や花と同じ生き物としての仲閒です。命の重さも同じです。最近、身のまわりのささいなことから愛を感じる心を忘れてしまい、悲しい事件がふえているように感じます。いつの間にかなくしてしまった、愛を感じる心を気づかせてくれるのが小さな命たちです。人々がそのことに気づいてくれたら、もっと素敵な世の中になるのではないでしょうか。微力ながらそんな思いも抱きながら、私は絵を描いています。
(聞き手 辻 一子)

*熊田さんのご逝去を受け、タイトル及び本文冒頭、次ページのプロフィール欄を変更致しました。(8月14日編集部)
 


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