【特別対談】日本のソフトパワーを考える(全4回)

2009年10月7日

 すばらしい文化との出会いは、その国のイメージをも良くすることがあります。結果、そうしたイメージが、現代の多文化世界における国家間の関係を好ましいことにすることもあるでしょう。
文化人類学者としてアジア諸国をフィールドワークし、タイにおいては僧修行まで経験している青木氏と、日本のポップミュージックに憧れて来日したバラカン氏は、それぞれどのようなきっかけで海外文化に興味をもったのでしょうか? まずは、お二人にその体験を伺いました。

異なるものへの憧れ

編集部(以下――) おふたりに伺いますが、最初に他国に興味を持ったきっかけはどのようなものだったのでしょうか?

アメリカ発の人気テレビドラマ 「ローン・レインジャー」

バラカン わたしが生まれたイギリス以外の国に興味を持ったのは、最初はアメリカでした。きっかけは、アメリカの映画だったり、ポピュラー音楽だったり。まさにソフトパワーと言われるものですよね。ただ、当時のアメリカのソフトパワーというのは、軍事力があってこそのソフトパワーでした。戦後のアメリカは、圧倒的な軍事力を持っていたということと、文化の力が一体となって切り離せなかったように思います。でももちろん、子どもの頃はそんなこと意識しませんでした。物心がついたときからそういうテレビや音楽に接していましたから。だって、うちが初めにテレビを買ったのは、僕が5歳ぐらいのときなんです。まだうちにテレビがない頃も、近所にテレビを持っている家があって、ときどき見に行ったのを覚えていますね。何を見ているかといったら、「ローン・レインジャー」なんです。要するにカウボイものの連続テレビドラマ。

 「ローン・レインジャー」に代表されるようなアメリカの番組が、一世を風靡した時代だったんです。ほかにも、「ルーシー・ショー」だとか。当時のテレビ番組といえば、ほとんどアメリカ発だったんですね。イギリスでもつくっていましたが、1950年代は圧倒的にアメリカのものの輸入。僕なんかはその影響を受けています。

青木 私はバラカンさんとは一回りほど年が違いますから、戦争が終わったときには小学校1年生くらいでした。当時、東京から地方に疎開していて。その時に接した異文化って、最初はやはりアメリカ文化でした。アメリカ軍がジープに乗って地方の村にも来る。最初は怖かったんですが、兵隊がニコニコしていてね。それでチョコレートとかチューインガムとかをくれるもので、だんだんなついていった。それから、当時のアメリカ兵は態度が非常に良かったんですよ。アメリカ軍の兵隊が日本に駐留したり占領したりしている。本当は脅かされるかと思ったら、逆ににこにこして感じが良かったものですから、そのときはすっかりアメリカが好きになりましたね。

 それから、だんだんアメリカの映画やポピュラーミュージックが盛んに流されてきましたから、それを見てアメリカを知るようになりました。アメリカのことを知ると、そのうちヨーロッパもあるしとなる。でも、日本の近代は、ヨーロッパとアメリカの影響ですから、逆にアジアの情報はほとんど入ってこなかった。

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