「私は『子ども目線』って言葉が大嫌いです。子どもの賢さや鋭さは幼稚なレベルだと決めつけて、大人がほどほどの力で接しようとする。『子ども目線』に立つとは、そういうことです。でも、本気を出していないことは、子どもに見透かされているんですよ」
写真:田渕睦深
ノッポさんのことは、たいていの人が知っているだろう。NHK教育テレビの『できるかな』(1970年~)は、20年も続いた長寿番組だった。その中でノッポさんとして人気を博した高見のっぽも、もう75歳になった。番組終了後も舞台に立ち続け、絵本作家や劇の脚本家、作詞家としても活躍し、2005年には『グラスホッパー物語』で歌手デビュー。今もテレビで、その姿や歌声が流れている。子どもたちと向き合い続けて半世紀だ。
高見は、子どもに対して手抜きをする大人が多いと感じている。手抜きとは、『どうせ子どもだから』と、大人が説明をせず一方的に『ああしろ、こうしろ』と言ったり、嘘でその場を取り繕ったりすることだ。そんな手抜きは子どもにはお見通しで、人間不信を植えつけるだけだと高見は言う。
「私は、自分が幼児の時の記憶が鮮明なほうなんです。幼稚園に通っていた時、近所の印刷屋さんが遊び場でした。そこで働く大人たちに可愛がってもらっていました。ある日、印刷屋のガラス戸を開けようとすると、鍵がかかっていて入れない。ドンドンと叩くと、中に人の気配はするのに、開けてくれなかった。居留守を使われたって、わかりました。悲しいというより、怒りを感じたことを覚えています」
「中学生の時は、校長先生や教頭先生と対立していました。戦争が終わった直後で、言うことががらりと変わった先生たちがメンツをつぶされまいと、『あれをしろ、これはダメだ』と強権を振りかざしてくるのに、『なぜだ』と反発したんです。ちょっと正義感が強くて、少年らしい生意気さがあっただけなんですが、『高見のような人間にはなるな』なんて朝礼で言われて、悲しかったですね」
「そんな具合ですから、中学校では孤立無援で、2年生になる時に受け持ってくれる先生がいなくて、職員室の黒板に私の名前が最後まで残っていました。最後に、ある先生が引き取り手になってくれたんですが、その先生に『僕は悪い子ですか』と尋ねました。先生は『あんたが教室にいると見透かされているようで、やりづらい。だから手間がかかるけど、その手間さえ省かなければ、あんたぐらい楽な子どもはいない』と説明してくれました。そのおかげで、私の心は穏やかになりました」
幼稚園の時も中学生の時も、きちんと説明してほしかっただけなんだと、高見は振り返る。説明をしなかったり、適当に言い繕ったり、ごまかしたりする大人を高見が手抜きと言うのは、時間や手間を省いているからであり、つまり全力で正面に立っていないということだ。