東大教授 浜野保樹のメディア対談録

2010年2月10日

 連載第2回は原正人さんの回想から。

 黒澤明監督は『トラ・トラ・トラ!』『暴走機関車』というハリウッドの企画がどちらも潰れ、
一時失意のどん底に陥る。遂には自殺を試み、日本中の話題にまでなった。

 もう巨匠が腕を振るえる場は、広い世界のどこにもないのか…。
そのとき助け舟を出したのが、原さんと、原さんがいた日本ヘラルド映画社の社長、古川勝巳さんだ。
突破口は意外なところ、ソビエト・ロシアのモスクワにあった。
そうしてできたのが、ソ連でのオール・ロケ大作『デルス・ウザーラ』。
これがまずますの首尾を収め、黒澤監督は復活を果たす。
再起の切っ掛けを与えた人たちは、原さんとヘラルドの人々だった。

(司会・構成=谷口智彦・明治大学国際日本学部客員教授) 

「デルス・ウザーラ」上映劇場前 黒澤明氏(左より2番目)と原正人氏(左より3番目)

浜野 原さんがお付き合いになったころって、黒澤監督のいちばん苦しい時なんですよね。

 苦しい時ですよ。それが『デルス・ウザーラ』の切っ掛けにつながるのだけどね。

司会 といいますと。

デルス・ウザーラができたワケ

 当時『どですかでん』って映画お作りになって。

 山本周五郎の『季節のない街』を映画にしたもので、監督が手がけた初めてのカラー作品でした。1970年、ね。

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