チャイナ・ウォッチャーの視点

2010年3月31日

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平野 聡 (ひらの・さとし)

東京大学大学院法学政治学研究科教授

1970年、神奈川県生まれ。東京大学法学部卒業。東京大学法学部教授。アジア政治外交史担当。著書に『大新帝国と中華の混迷(興亡の世界史17)』(講談社)、サントリー学芸賞を受賞した『清帝国とチベット問題 多民族統合の成立と瓦解』(名古屋大学出版会)がある。

 最近米中関係に風波を立てたグーグル中国撤退問題は、「安定団結」の美名のもとで如何なる抑圧も辞さない中国政府の立場と、それに隷従せず自らの経営スタイルとイメージを守ろうとする立場の衝突である。自国民に従順を強いてきた中国共産党・政府の有形・無形の圧迫は、今や中国の国力の飛躍的な増大をうけ、中国と関わりを持とうとする全ての存在にも厳然と及びつつあることを、今回の事件は象徴的に物語っている。

 しかし、中国共産党・政府に隷従させられることで中国国民が嘗めさせられた苦痛の歴史ははるかに深刻であり、しかも現在進行形で悪化しつつある。去る3月25日付の『朝日新聞』が伝えるところによると、中国政府はこれまで「共産党の指導」と台湾問題・少数民族問題に関する異論を固く禁じてきたのに加えて、今後は「国家の安全に対し危険な言説」の範囲を拡充し、たとえば農村・農民問題や環境問題など民生に深く関わる問題についても、政府や国営新華社通信の立場=大本営発表ではない独自の取材や言論を封殺するという。このことはまさに、メディアが伝えるべき内容、あるいは一般の中国国民が知りたいと願う内容のほとんどを奪うに等しいものであり、中国13億人の「奴隷」化を加速させるだろう。

国家が意図的につくった数億人の奴隷って?

 それでも、さまざまな国内外の情報や財を元手に、党・国家とは距離を置いて独自の活動の空間を持ちうる都市の中間層はまだ良い。むしろ、彼らが混乱を嫌い「安定」を求めるあまり中国共産党と一蓮托生となっているという現実がある。中間層と彼らの独自の活動空間が増えれば民主化は進むという政治学的知見は今のところ中国の実情を説明できていない。

 むしろ問題は、声を上げるだけの知識もなければ、自らの出自にとらわれて衣食住にすらしばしば事欠く人々である。中国にはそもそも、国家が意図的につくった奴隷が数億人いる。すなわち、農民戸籍にさせられた膨大な数の人々である。都市戸籍と農民戸籍の違いについては、最近日本のメディアでもしばしば伝えられるところであるが、そもそも「労働者と農民の国として建国されたはずの中華人民共和国で、何故農民が苦しむのか」という疑問を拭えない読者の方も多いだろう。

 しかし、市場経済化の中国は今や労働者と農民の国とは到底言えない。中国のマンパワーの中核として先進的な科学技術や商業活動を担うのは、今やあくまで洗練されたテクノクラートである。そこで中国共産党は、彼らを取り込むために「三つの代表」論を掲げて党規約を変更し、中国共産党は労働者・農民の代表というよりも、中国の先進性を代表する政党であるとはっきりと規定した。実際、教育水準が低い革命世代の老幹部が退場するのに代わり大卒ホワイトカラーの入党工作を展開するなど、中国共産党はここ十数年のあいだに開発独裁政党に変わった。それは分かりやすく言えば「巨大なシンガポール人民行動党」である。このような集団からみれば、低い教育水準や開発の遅れにあえぐ広大な農村部の人々は、あくまで恩恵的に「発展」の果実を与える対象でしかない。

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