サントリーフラワーズ「青いバラ」
できると念じて咲いた花

田中良和さん(植物科学研究所長)


池原照雄 (いけはら・てるお)  ジャーナリスト

1950年生まれ。専門紙や全国紙の経済記者として自動車、エネルギー、金融、官庁などを担当。00年からフリーになり幅広い執筆、講演活動を展開。著書に「トヨタVSホンダ」(日刊工業新聞社)、「図解雑学 自動車業界のしくみ」(ナツメ社)など。

ヒットメーカーの舞台裏

どんな不況でも、次々と誕生するヒット商品。気になるあの商品は、いったいどのようにして生み出されたのか。舞台裏の開発秘話を丹念に追い、開発者たちの生きざまに迫ります。

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開発に着手してほぼ20年を経た2009年11月に売り出された。自然界のバラには存在しなかった青色を遺伝子組み換え技術で実現している。まだ供給量が少ないこともあり、市販価格は1本3000円前後。1本数百円からあるバラのなかではプレミアム品だ。委託する生産農家を徐々に増やして今年は5万本、11年には20万本の販売を計画している。

 青いバラは、英語圏では「あり得ないこと」や「不可能」の比喩として使われてきた。交配による品種改良で、世界には2万を超えるバラの種類があるものの、青色はできなかった。花びらを青くする「デルフィニジン」という色素をつくるための青色遺伝子が、バラにはない。

青いバラと、その香りを再現した香水セットの期間限定商品

 ならばと、サントリーが挑戦を決めたのは1990年だった。当時、サントリーは花卉事業に進出したばかりで、研究部門から「画期的な花に取り組みたい」と青いバラが提案されていたのだった。研究員としてその開発に半生をかけることになったのがサントリーの植物科学研究所長、田中良和(51歳)。理学部の修士を修了して83年に入社後は、遺伝子組み換えによる発酵の研究などに従事していた。青いバラのプロジェクト発足とともにオーストラリアに渡り、共同開発先のベンチャー企業と研究に着手した。

 「会社からはベンチャー企業の勉強もしておいでと送り出されたし、気楽に赴任した」という田中はこの時、市販まで20年も要すことになろうとは思いもしなかった。4年で完成させるとして始まった研究は順調だった。1年後にはガーデニングの花としてポピュラーな「ペチュニア」から、青色遺伝子を取り出すことに成功、特許出願もできた。

 遺伝子を使って花びらを青くする手順はこうだ─。まず、バラの葉っぱの切れ端から「カルス」という細胞のかたまりをつくり、これに青色遺伝子を組み込む。ここまでの作業に1年かかる。次いでカルスにホルモンや栄養分を与えて植物として育て、開花させる。カルスの培養から開花までが9カ月だ。研究チームは早速、カルスにペチュニアの遺伝子を導入して開花を待った。だが、バラにはこの遺伝子が効かず、デルフィニジンは検出しなかった。ちなみにカーネーションでは成功し、97年に青いカーネーションを「ムーンダスト」という商品名で売り出している。

花言葉は「夢 かなう」

 94年から研究の拠点を日本に移した田中は、青色遺伝子を他の青い花から取り出してバラのカルスに組み込む実験に転換した。リンドウ、ラベンダーなど青い花をつける植物を総ざらいするうちに、田中はひとつだけ「うまく働きそう」という花に到達した。青いパンジーだった。すでにこの時点で研究の着手から6年が経過していた。

 20年を振り返って、田中はこの頃が一番苦しかったという。青色遺伝子はバラには効かない。「バラには青い色素の遺伝子を分解する何らかの物質があるのかな」と考え、「そうなるとややこしいな」と圧迫される想いだった。

 次第にプレッシャーがかかるようになり、99年頃からは、半年に一度役員に進捗状況を説明しなければならなくなった。「開花までのサイクルが9カ月なので、半年ではまだ咲いてないということもあった」と田中は笑うが、決して「できない」とは言わなかった。

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「ヒットメーカーの舞台裏」

著者

池原照雄(いけはら・てるお)

ジャーナリスト

1950年生まれ。専門紙や全国紙の経済記者として自動車、エネルギー、金融、官庁などを担当。00年からフリーになり幅広い執筆、講演活動を展開。著書に「トヨタVSホンダ」(日刊工業新聞社)、「図解雑学 自動車業界のしくみ」(ナツメ社)など。

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