チャイナ・ウォッチャーの視点

2010年5月6日

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城山英巳 (しろやま・ひでみ)

時事通信社外信部記者

1969年生まれ、慶應義塾大学文学部卒業後、時事通信社入社。社会部、外信部を経て2002年6月から07年10月まで中国総局(北京)特派員。 外信部を経て11年8月から2度目の北京特派員。11年、早稲田大学大学院修士課程修了。現地での中国取材は10年に及ぶ。16年5月に帰国し、現在外信部記者。近著に『中国 消し去られた記録〜北京特派員が見た大国の闇』(白水社)、著書に『中国臓器市場』(新潮社)、 『中国共産党「天皇工作」秘録』(文春新書、「第22回アジア・太平洋賞」特別賞受賞)、『中国人一億人電脳調査』(文春新書)がある。14年に戦後日中外交史スクープで13年度「ボーン・上田記念国際記者賞」を受賞。

 「上海万博は世界中に、5000年以上の文明の歴史と、改革・開放中で急速に発展・変化している中国を示した」

 中国の胡錦濤国家主席は4月30日夜の万博開会式で、サルコジ仏大統領夫妻や韓国の李明博大統領ら、40カ国以上の外国の元首・政府首脳らを前にこう高らかにうたい上げた。

 実は「文明の歴史」「改革・開放」とともに、もう一つキーワードがある。「近代の屈辱の歴史」である。胡錦濤は強調しなかったが、万博開幕当日5月1日午前零時すぎに配信された国営新華社通信の「万博特別原稿」はこれを表現していた。

 上海万博は改革・開放により、屈辱の近代史を乗り越えてつかんだ社会主義の成功を、かつて中国を支配した旧西側列強に誇示する舞台なのである。2010年は、上海万博のモデルとなった大阪万博開催から40年。さらに中国にとっては国民総生産(GDP)総額で日本を追い抜き米国に次ぎ世界第2位に躍進する年でもある。いわば日清戦争後続いた近代化での「日本優位」(あくまでGDP総額)が逆転する歴史的節目なのだ。

 われわれは華やかな万博の方に目を奪われがちだが、開幕直前には中国沿海部で小学校・幼稚園で子供が無差別に襲撃される事件が3日連続で起こるなど矛盾が山積だ。万博を越えた中国は果たしてどこに向かうのだろうか。

「屈辱の近代史」から「中国の時代」へ

 新華社通信「特稿」はこう伝えた。

 「黄浦江はゆっくりと流れてきたが、外灘(バンド)の『万国建築博覧会』に中国人は載せ切れない複雑な感情を持っている」

 イギリス租界だった外灘に今も、多種多様な洋館が立ち並ぶのは、清朝がアヘン戦争(1840~42年)で英国に敗北し、不平等条約の南京条約により中国が半植民地化への道を突き進んだからにほかならない。

 「特稿」はさらに続ける。

 「1843年11月、上海正式建城の552年後に開港させられ、苦難と屈辱、壮志と夢に満ちた歴史が始まった。第一次アヘン戦争中に農耕文明を固守し、鎖国に閉じ込められた清政府は、工業文明で武装した強固な艦船と鋭い大砲によってさんざんまでに打ちのめされた」。

 「その8年後の1851年5月に初の国際博覧会がロンドンで開かれた」という「特稿」の指摘は、当時の国際社会における英中両国の天と地の格差を認識する上で大きな意味を持つだろう。その上でこう解説した。

 「近現代世紀は欧米の世紀だった。英国に啓発され、米国、フランス、ドイツが相次いで万博を開催した」。まさに「近現代世紀」に続く「新時代」は「中国の時代」であり、その中心こそ上海ということを言いたいのだ。

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