共同通信の元記者でワシントン特派員などを経験した知米派ジャーナリストの松尾文夫氏が、米中関係を14年もかけて調査、分析した『アメリカと中国』(岩波書店)を出版した。米国と中国が1780年代から交流があり特別の関係にあったことを関係者のインタビューを交え、膨大な資料をもとに明らかにするとともに、1972年のニクソン米大統領の中国との突然の国交回復などにみられるように、米国の中国に対する現実主義的な対応には要注意だと指摘、安倍政権に対しても注意を喚起している。
漢方薬の材料となる朝鮮ニンジンは、実は米国で取れたものが1780年代に大量に中国に輸出されていたことなど、意外と知られていない貿易取引なども明らかにし、これまで歴史家が触れてこなかった史実にも光を当てた点は、ジャーナリストが書いた歴史書として価値ある労作だ。松尾氏に著書の狙いなどについてインタビューした。
Q 米国から中国に取材対象が広がったきっかけは
A 共同通信のワシントン特派員として勤務した1967年の春頃、米国と中国の戦争の可能性が論じられていた時に、米国の中国担当者が何を考えているのか探ろうと思い国務省の中国担当のオフィスを訪ねてみたら、同省日本部の5倍くらい広いスペースに驚いた。担当官もハーバードなど有名大学を卒業し、中国語をマスターしていた。そこで出会った担当官が「とにかく1949年に出た『中国白書』を良く読んでみることだ」とアドバイスしてくれた。
早速に分厚い上下2巻を買って読んでみて、最も驚いたのは、毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言する2カ月も前の1949年7月30日に、当時のアチソン米国務長官がトルーマン大統領に宛てた、「今や中国の心臓部は共産党の手中にあり、蒋介石の国民政府は腐敗しており、逃避行中の蒋介石に早々に引導を渡すべだ」とする内容の送達文だった。これはトルーマン大統領とアチソン国務長官のコンビによる事実上の蒋介石政権切り捨て宣言だった。これを見て米国が蒋介石から毛沢東に切り替えた変わり身の早さ、米国と言う国の凄まじいリアリズムを痛感した。それから、米中関係の取材に俄然興味がわいてきて、それ以来、フォローしてきた。
いつかは米国と中国との関係を本格的に捉えてみたいと思って、2004年ごろから本格的にリサーチを開始した。
Q 1971年4月号の『中央公論』にニクソン大統領の中国訪問を予言するかのような「ニクソンのアメリカと中国」と題した記事を寄稿し、その3カ月後にキッシンジャー大統領特別補佐官が中国を秘密訪問、さらにはニクソン大統領の北京訪問につながり、最終的には米中国交回復になった。米中関係の改善をどうして予言できたのか。
A 「ニクソンのアメリカと中国」は、1968年にベトナムの和平交渉取材でパリに出張しているときに、中央公論の記者と知り合い、東京に戻ってから米中関係の話をしていたら、急きょ5日間で原稿を書いてくれと言われ、大急ぎで4月号の巻頭言の形で書き上げた。当時はワープロもパソコンもなく、手書きで徹夜して書いたのを覚えている。和平交渉に至るこれまでの取材を通じて、米中関係が変化するのではないかと言う確信ではないが可能性を感じた。「米国と中国の関係が動き出した」という書き出しで始まる原稿は、共同通信社内の中国外交専門家から「松尾が何か変な論文を書いた」と批判され、「米中が和解することなどあり得ない」として、私の記事は全く相手にされなかった。しかし、その直後に、「ピンポン外交」が始まり、3カ月後にキッシンジャーが北京を電撃訪問した。結果的に私の予言が当たった。