世界に誇る日本の折り紙。いまや子どもの遊びにとどまらず、
折りの科学として人工衛星の太陽光パネルや車のエアバッグにも応用される。
そんな奥深い折り紙の科学に見せられた三谷氏がつくるのは、
不思議な幾何学的折り紙。いま、この形に魅せられる人が増えている。
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高井ジロル(以下、●印) やっぱり子どもの頃から折り紙ばかりしていた?
三谷純(以下、「——」) 実は折り紙にはあまり関心を持っていなくて、紙を切って貼って組み立てるペーパークラフトにはまっていました。このペーパークラフトとの出会いは、小学校1年生のとき。小学館入門百科シリーズの『紙工作入門』という、すばらしい本を父がくれたことがきっかけです。クルマや動物、昆虫などの型紙がたくさん載っていたのを覚えています。カーボン紙で展開図を厚紙に転写して、何度も何度も繰り返し作ってました。
この本には、いま見ても感心するような展開図が載っています。アートのセンスと、紙に対する造詣がないとこういう展開図は作れないでしょうね。テントウムシとかね。いま思うと、数ある紙工作の本の中でもいいものに出会った。運命的な出会いだったのかもしれません。子供のころは、ペーパークラフトばかりしていましたが、このことがやがて将来に、折り紙に興味を持つことになる布石になったのだと思います。
●その頃から、コンピュータに親しんでいたそうですね。当時のパソコンは、いまほど操作が簡単ではなかったと思いますが。
——エンジニアだった父がNECのPC-8001というパソコンを、これも僕が小学校1年のときに買ってきたんです。父がいないときは自分で好きに触ることができたので、いろいろプログラムを作ってました。
パソコンで何をやったかというと、ゲームの作成なんです。当時は今のようにゲームソフトが市販されてなかったので、ゲームというのは自分で作るものでした。雑誌を買ってきて、そこに書いてあるプログラムコードをひたすら入力して、それをちょっと改造したりして。プログラムを作るのがおもしろかったんです。朝早く起きて、学校に行くまでの時間でプログラムを書く、という日々を過ごしていました。でも、コンピュータのマイブームは小学校で終了して、中学・高校に入ってからはほとんどいじらなかった。ファミコンでは遊んでいた記憶があるので、きっと楽して遊ぶことを覚えちゃったんですね。
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