「同じ頃、研究室の助教授が、筒状結晶のアスベストを研究していました。私にとっては兄弟子のような存在の人で、いつも一緒にいて、話を聞かされていた。文献で得た知識と違って(助教授との)体験を通したものだったので、忘れずに残っていました」
「何より私は、大学院を出て渡米した頃(1970年)から、EMの調整をする際のテストサンプルとして、炭素材料を四六時中見てきたんです。CNT発見時にはすでに、炭素とは20年以上の付き合いになっていました」
こうした経験があったからこそ、針状結晶を見た瞬間に「これだ」と閃いたのだ。言うなればそれが、勘が働く構造なのだろうが、飯島の言葉を借りながら、もう少し分析を試みる。
「何かを判断しようとする時、自分の血や肉になっている経験がリアルタイムに出てきて、それでピンとくるんだ」と飯島は表現する。ものの真贋や直面する状況の一手先などを一瞬で判断する時、人間はそれまでに経験したことを何らかのモノサシとして、比較したり想像したりしている。「リアルタイムに出てきて……」とは、目の前の現象に対して、体の中からモノサシがパッと現れて、その上で瞬間的に「これだ」と感じさせている、そんなイメージを指すのだろう。
理論の積み重ねで到達する判断とは異なる、これを勘というのかもしれない。つまり、経験とは勘を生むための引き出しだ。「世の中に発表したのはCNTだけど、その下にはピラミッド状に屍があるんですよ。そうした経験がなかったら、どうだろう、わからないけど、(針状結晶を見ても)見逃していたかもしれないね」と、飯島は破顔一笑する。ムダと分類されるようなものをたくさん見てきたことが、勘の源泉となったのだ。
経験は時間に比例しているから、
創造的な仕事は若者の専売特許じゃない
CNTの発見までに、飯島は「EMの世界一の使い手」になっていた。「EMはカネを出せば誰でも買えます。人と違うことをやるには、自分なりに装置に手を加えたり、原子の並びがきれいに見えるように微細にコントロールするテクニックを磨いたりする必要があります」。そうした準備があったからこそ、結晶が見えるところまで来たのだろう。見えたものが「これだ」と思うかどうかは勘の領域で、そこは経験の幅や量がものをいうはずだ。
「新しいものを見たいという好奇心が、私の根本にあります。『あれはダメ、これもダメ』と消去法で考えるのではなく、前に向かう思考というんでしょうか。だから寝床でもヒントを探しています。だいたい、翌朝考えてみると、たいしたことないんですけどね。そういう意味では、四六時中考えていますね」
この性格が、さまざまなチャレンジを呼ぶだろうから、経験の量は増えるだろう。さらには、「こうじゃないか、ああじゃないか」とあれこれ考えることも、同じ経験をより深いものに、言うなれば質を高めることにつながったと思う。経験の量と質に伴って、勘を生む引き出しの数や種類が変わってくるから、好奇心旺盛な飯島のキャラクターが、勘を養うことに寄与する部分は大ではないだろうか。
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