成せば成る、決してあきらめるな。有法子(ユーファーズ)=不屈の精神で激動の生涯を生き抜いた「新幹線の父」の自伝。
十河信二は、東京帝大在学中に時の鉄道院総裁・後藤新平に出会い、鉄道院に入る。帝都復興院で関東大震災の復興事業に関わり、満鉄理事として奉天へ赴く。戦後は、愛媛県西条市の市長や鉄道弘済会会長などをへて、71歳で国鉄総裁に就任した。 本書は、東海道新幹線の実現に尽力し、「新幹線の父」と呼ばれた十河信二が、国鉄総裁に就任するまでの歩みを綴った自伝で、肉声で語った昭和史の証言としても貴重である
1884年(明治17)愛媛県生まれ。1909年、東京帝国大学法科大学を卒業。1912年、鉄道院に入省。26年退職後、満州鉄道理事、興中公司社長を歴任。戦後、1945年(昭和20)に愛媛県西条市市長に就任、翌年、公職追放により辞任。鉄道弘済会会長をへて、1955年(昭和30)71歳で第4代日本国有鉄道(国鉄)総裁に就任。63年退任。東海道新幹線の実現に尽力し、「新幹線の父」と呼ばれる。1981年(昭和56)没。