沖縄は人気の観光地、我が家の子どもも「行きたい!」と言うので出かけましたが、行くに当たって、私が子どもに出した条件がありました。「海もいい、観光地もいい。だけど、先ず摩文仁の平和記念公園やひめゆりの塔に行ってから」。
子育て中はぜひ色々な体験を
青い空の下、海に向かって並ぶたくさんの石碑と、そこに刻まれた一人ひとりの名前の重み、避難壕の跡や記念館の遺品の数々は、『ガラスのうさぎ』(金の星社)『火垂るの墓』(ポプラ社)など戦争作品を読むだけでは伝えきれない何かを、ひめゆり部隊の少女たちとほぼ同年代の我が子に与えたようでした。時折後ずさりながら、黙って展示品を見つめる様子に、条件を出して連れてきたことは間違っていなかったと思ったのは、親の自己満足だといわれるかもしれません。でも、いろいろな体験をさせるのは子育て中の親の役目と考え、自分では伝え切れない戦争や歴史を考える上での一つのきっかけ作りとしても、このぐらいのことは…と思っていたので、やはりよかったと今も感じています。
私も“戦争を知らない子ども”です。両親は戦中派になるので、子ども時代の思い出話の延長としても、戦時中の話はいろいろ聞かされてきました。私が子どもの頃には、街中で傷痍軍人と言われる方々を見かけることも珍しくなかったので、親に尋ねたこともあったでしょう。私の子どもも、祖父母から聞かされた思い出話を、断片的ではあっても覚えています。それでも、“去るもの、日々に疎し”。慌しい日常の中でどんどん忘れ、人事のような歴史上の出来事になって、思いを馳せることが少なくなっています。
そんな中、評論家の秋山ちえ子さんが、毎年8月15日にラジオ番組で『かわいそうなぞう』(金の星社)を1968年から読み続けていらっしゃることは、感嘆するばかりです。戦争中、動物園に爆弾が落ち、動物たちが町へ出て暴れだしたら…ということで、全国各地の動物園で動物たちが次々に殺されました。『かわいそうなぞう』は、上野動物園の3頭のゾウのお話です。長い年月の間には、今さらとか、またか、と言われたこともあったのではないかと拝察します。
それでも、確かにあったことを知るために、忘れないようにするためには、繰り返し語り続け、残されたものを読み継ぐしかないのだと思います。「知らない事が恥ずかしいのではなく、知らないまま放置することが恥ずかしい。」という言葉を、大人として、親として、もう一度噛み締めてみませんか。
おばあちゃんが写真を撮らない理由
改まって写真を撮る機会が少なくなりました。昔は、写真屋さんを自宅に呼んで家族写真を撮ってもらうこともあったようです。それは、特別記念になることだったでしょう。広島に住む『いわたくんちのおばあちゃん』(主婦の友社)は、いつでも、どんなに誘っても、みんなと一緒に写真を撮ろうとしません。おばあちゃんが少女だったとき、家族揃って写真を撮った翌日、自分以外の全員が原爆で亡くなってしまったからです。奇跡的におばあちゃんの元に届けられた写真は、辛く、悲しい思い出にしかなりませんでした。